1. 新技術をめぐる競争

良い製品ができれば他社を出し抜けると考えられている。しかし,全ての製品が売れるわけではないので,この時点では価格に関しては決まらないのではないか?〔……〕製品の売れ具合により価格は変動すると考える。 生産性の向上≒供給力の上昇と捉えてもいいのか? いくらコストを削減し,大量生産を可能にしたとしても需要市場〔需要?〕には限度があるし,同業界の他企業最より質の高い商品を生み出そうとしてくるわけであるため,超過供給に陥ってしまうのではないか? 〔同じ問題についての質問だったので,一つにまとめました。〕

この時点では価格に関しては決まらないのではないか?──逆です。価格が決まらないと売れ行き(販売数量)も決まりません。したがって,個々の革新的企業のプライシングを通じて(つまり個々の革新的企業がプライスメーカーになって),市場価格が最初に決まって,その後で(需要量に応じて)販売数量が決まります。販売数量に対して,供給過剰/華商が会った場合には,再度,調整プロセスが生じます。

この講義では,新技術を採用した革新的企業はすべての商品を販売することができると考えています。で,もし革新的企業による供給数量増加分(生産数量増加分)を吸収できるくらいに,需要が価格に対して十分に弾力的でなければ,当然に従来型企業の供給数量の一部は売れ残ります(プライスメーカーが革新的企業である限りでは,革新的企業の方がわずかに早く商品を捌くはずです;また,革新的企業は量産した商品が捌けるくらいのプライシングをするでしょう)。

そもそも薄利多売というのは多売することにより原価が下がり,多利になるのは道理なのではないか?

多売することにより原価が下がりというのが量産効果に基づくものであるならば,それはこの講義で述べているような生産方法の変革に基づく多利多売と全く同じです(詳しくは『7. イノベーションの構成要素』をご覧下さい)。と言うのも,多売しているから原価が下がっているのではなく,量産しているから原価が下がっているのですから。で,この場合には,多利になるのですから,薄利多売でさえありません。

「独占とは違って,企業が価格を設定することはできない」と書かれていたが,この表現は適切でないと感じた。〔……〕競争では,他社との価格設定競争の中で最終的に「利益の出るギリギリのラインの設定」を自社自身が行うと思うので,この場合は「独占ほど自由な価格設定はできない」の方が伝わりやすいと思った。

「利益の出るギリギリのラインの設定」が市場価値よりも高かったら,その商品は売れません。したがって,競争下では,どの企業も市場価値に従うことになります。もっとも,この市場価値というのは少し厄介な問題を含んでいて,おそらくあなたがこの質問で想定しいているように,競争下でも企業はプライスメーカーとしてふるまうのです。しかしまた,プライスメーカーとしてふるまいながらも,その結果として生まれた(というか自分たちが生み出した)市場価値に,プライステイカーとして従わざるをえないのです。

また,講義で強調しましたが,独占の場合にも,好き勝手に価格を設定できるわけではありません。ガルブレイスが主張するように,消費者の欲求形成は独立したものではなく,絶えず社会からの影響,特に今日のシステムでは商業宣伝の影響を受けるのであり,従って商業宣伝費の負担に耐えうる大企業はある程度の影響力を消費者の需要形成に及ぼしています(これをガルブレイスは依存効果と呼びます)。しかし,だからと言って,大企業が消費者の欲求を好き勝手に変えることなんてできません。第一にななんの変哲もない食パンを1斤100万円で売りに出しても誰も買ってくれません。

また,独自の技術力で他者より優れた商品を生み出し売上を上げるということは他社の売り上げの下落に繋がると考える。利益が減るために投資資金も減る企業も多数存在する中で,本当に各社バラバラに行う生産性の上昇が社会全体の生産性を上昇させるのか?

市場価値が低下したということが社会全体の生産力水準が上昇したということの証です。そして,この場合の市場価値低下は,社会全体の生産力水準との関連では,品質に対して相対的に考えなければならないというのも講義の中で述べたとおりです。

利潤の最大化が〔企業の〕目的だが,〔企業の目的は〕生産性の上昇ではないと書いてある。利潤を上げるには生産力は上げるが生産性の上昇ではないという矛盾が生じているように見える。

ここでは生産性も生産力も同じ意味に使っています(本当は区別するべきなので,生産力に統一したいと思います)。で,生産力の上昇は,企業の手段であって目的ではない;企業の目的は利潤最大化であって,生産力の上昇はこの目的を達成するための手段ではないということです。で,なんでこんなことを言うのかというと,生産力を上昇させなくても利潤を増やすことができる場合には,企業はそちらの手段を選択するかもしれないからです。この点は講義でかなり強調したと思います。

〔次から次へと連続的に技術革新が起こると,〕革新は終わらないものなのか? 分野によっては革新しようがないものもあると思う。

革新が止まった部門は停滞します。もし別の部門に技術革新が生じ,あるいは新しい部門が技術革新によって創り出されるならば,社会全体で生産力の上昇は継続します。

革新的企業の増大は新規参入の企業も含まれるのか?

もちろん,含まれます。既存資産を持っていない以上,講義で述べた費用の私的負担という観点からは,新規参入の方が技術革新を導入しやすい場合さえあります。

また,『6. 生産力の上昇』の中では省略しましたが,画期的な新商品の開発(プロダクトイノベーション)によって新市場が立ち上がる場合には,そもそも新規参入しかありません。

それらのタイプが〔=革新的企業と従来型企業とが〕ハッキリ分けられるのかが疑問だった。企業は新しい生産方法が見付かるまで従来の生産方法を継続しているものではないか?

講義で強調したように,革新的企業はすでに新技術を採用した企業であり,従来型企業はまだ新技術を採用していない企業です。両者は固定的な区別ではありません。

独占している企業は何故商品の値段を限界まで上げないのか?

水道,ガス,電気のような独占の場合でしょうか? 政府が政策的に価格統制しているからです。

イノベーションのはてに不要となった労働力はどこへいくのか? 相対的過剰人口として労働条件を悪くするしかないのか?

一部は他部門で吸収され,一部は相対的過剰人口になります。たえず排出と吸収とを続けながら,全体として景気循環の中で,相対的過剰人口が増えたり減ったりします。いずれにせよ,相対的過剰人口がないことには資本主義は成長することができません(賃金が青天井に上がってしまうので)。

資本主義経済では社会全体で協力して生産性を上昇させるメカニズムはないと言うことだったが,社会主義社会では存在するのか?

社会主義社会というのが資本主義社会の後に来る社会であるならば,当然に存在します。と言うか,現代社会でも,社会全体,とまでは言えませんが,協力して生産性を上昇させるということはありうるのです。それは国家の政策的介入だとか,業界団体による調整だったりします。たとえば,もし一業界内部での企業間競争による商品価格の低下が,その競争から生じる環境汚染の回復費用の増大よりも小さいのであれば,今日でもそのような介入が行われうるでしょう。しかしまた,それらは,どちらも,市場の外部からの介入であって,市場を通じた金儲けという資本主義のメカニズムではないわけです。

たくさんの企業がある中で平均的な普及率は何%くらいか?また,普及率は何%までいくとその企業にとって成功したと言えるのか?

まぁ,ロジスティック曲線を前提すると,ロジスティック関数は点(0, 50%)について対称的であるような奇関数なので,普及率がほぼ0%からほぼ100%の間で,平均値は50%になります。しかし,実際には,講義の中で述べたように,普及率が100%になる前に次の技術革新が始まってしまい,したがって,実際には普及率はほぼ100%になることは少ないでしょう。

生産性の上昇によって大量に作られるようになると,逆に競争が激しくなり,無利〔無理?〕な賃金の圧縮による利潤の拡大なども起きるのではないか?

起きるかもしれません。

一般論として,もし失業率がいわゆる自然失業率(要するに非自発的失業者はゼロ)であるならば,ある部門で賃金の切り下げが起きれば,もっと有利な部門に労働力が移動するはずです。ただし,実際には,失業が発生していると──そして,資本主義社会では,正の非自発的失業率こそが常態であり,経済発展の条件です──,どの部門でも賃金を切り下げようとするかもしれませんし,何よりも,労働力の移動自体が,技術的に(他の部門で必要とされている技能がない)あるいは社会的にある程度は制限されているでしょう。

企業内価値の考え方があまり分からなかった。イノベーションが進むにつれて社会全体の市場価値が下がるが,その際には企業内価値は下がるのか,それとも新たな生産力を企業が導入した時点で下がると解釈していいのか?

革新的企業にとって(普及が完了するまでは)企業内価値と市場価値とは異なるということ,革新的企業と従来型企業とで企業内価値が異なるということがミソです。

新たな生産力を企業が導入した時点でその企業の企業内価値は下がります。

従来型企業が革新的企業になっていって超過利潤が消滅するとあるが,実際にそれは起きているのか?

もし革新的企業の原価が一定である状態で市場価値の低下が生じていれば,必ず超過利潤の低下が生じます。

結局のとろ,従来型企業と革新的企業はどちらが優れているのか?

生産力という点では革新的企業の方が優れています。

革新的企業は,アベノミクスにおける成長戦略によって発生させようとしている企業という認識で間違いないのか?

えっと,講義の中で述べたように,すでに新技術を導入した企業が革新的企業です。

2.普及を阻む要因

特許みたいな制度があると二番手以降の企業が参入しづらくなり,市場で普及しないのではないか?

この問題はこの講義に即しては普及を阻む要因としての「知識の私有」の問題です。まず一般論として,そもそも特許は新技術を普及させる(正確には普及とイノベーターのモティベーションとを両立させる)ための制度です。この点については,以下をご覧下さい。

次に,特殊論として,特に情報関連産業で,プロダクトイノベーションでニッチに市場を立ち上げてそのままシェアを握ってルールを作ってしまうということにおける特許の意義については,これから講義で見ていきます。

各企業は自ら最先端の技術を開発するよりかは,他企業の開発した技術を流用した方がリスクと費用の負担を軽減でき,安定的な利益の獲得が行えるのではないか? また,その場合にはどの企業もイノベーションをおこそうという動機が生まれなくなるのではないか?

二番手戦略(模倣戦略)については,講義で述べたとおりです。また,これに関連する問題として,レヴィットが造語しドラッカーが広めた「創造的模倣」について,以下を参照してください。

10億円で新しいミシンを買って次の日にウルトラミシンが販売されたとき,前日に買ったミシンを返品するというのは契約上不可能なのか?

商業資本(この場合にはミシンの問屋)ではなく,ミシンメーカーがミシンを販売していると仮定します。また,ミシンメーカーに対してこのミシンを購買したメーカー(たとえばシャツメーカー)は著しい取引上の優越はないと仮定します。

さて,返品と言う以上はすでに納品済みなのですよね。そういう特約を付けていれば可能でしょうが,そういう特約を付けるのは一般的ではないと思います。

日経新聞で,パナソニックや富士通などの大手企業が連合を組み,日米のベンチャー企業へ大きな投資をするという記事を読んだ。〔……〕大企業側は,このとき,「費用の私的負担」と「リスクの私的負担」をしたという解釈でいいのか?

当然に,日本の大企業側は投資の費用もリスクも私的に負担しています。ただし,講義で想定しているのは,この例で言うと,最先端技術を持つベンチャー側の私的負担です。

日経新聞の記事(2015年06月02日)によると,日本の大企業側の投資理由としては,直接的な収益以外に,最先端ベンチャーとパイプを持つことのようです。で,直接的な収益はもちろん,パイプを持つということも,ちょっと,この講義で想定するようなイノベーションコスト,例えばR&D費用なんかとは同列に見ることはできません。

費用をリースでまかなうというのがあまりイメージが付かなかった。何か良い具体例があれば知りたい。

講義で述べたように,IBMのメインフレームの販売の売上の大部分は,買取ではなく,レンタル/リースでした(この場合には,自由解約できるのがレンタル)。その他にも,例えば大型重機など,かなりの巨額の労働手段で,しかもまだ品質の改善が期待されうるものについては,一定程度の,自由解約可能な貸出市場が存在します。

〔すべてのミシンを一度にリプレースするのではなく〕段階的に更新した方が少しでも最新のミシンが購入できるから良いのではないか?

その通りですね。しかし,そのメリットはデメリットでもあります。つまり,たとえば1/3ずつ段階的にリプレースするのであれば,それはそれでやはり新しいミシンを導入できるのも,工場全体の1/3にとどまります。

なお,いまは1/3ずつという例を出しました。ここで考えなければならないのは,たとえば連続的にリプレースし続けるなんてことは不可能だということです。その理由は,第一に,労働手段は分割不可能だからです。0.2個の工場建物とか,0.5個のミシンとかが無意味であるということを考えてみてください(注1)

第二に,労働手段のリプレースには,通常,コストがかかるからです。このコストは,たとえば工場の中の一ラインの停止なんて形で現れます。もっとも,この第二の点については,資本は最小化しようとしています。たとえば,リプレースに伴うものではありませんが,多品種生産に伴うものとして,生産物に適合するように道具機を取り替える段取り替えのコストなんかは,最小化するのに血道を上げています。しかしまた,このようなコストが,なくなるわけではありません。

アベノミクスの第一の矢,金融政策の量的緩和で日銀に大量のお金が眠っていると聞いたのだが,企業がR&Dや機械設備の新規投資費用のためにこれらのお金を借りて投資すればいいと思うのだが,何故企業はそれをやらないのか?

日銀に眠っていると言うか,増えているのはマネタリーベースの中の日銀当預です(現金そのもの,つまり日銀券および補助鋳貨はそれほど増えていません)。日銀当預を保有しているのは市中銀行を中心とする金融機関です。ですから,市中銀行に過剰準備として眠っていると言う方が適切だと思います。どのみち,日銀当預はただのデジタルデータですから,現金と同じような意味で眠っているわけではありません。なお,マネタリーベース統計については以下を参照してください:

で,市中銀行が保有している日銀当預の大部分は現金準備になります。現金準備が十分にあるのに国内の設備度投資が思ったほど伸びないのは,単純に,企業が国内生産用の設備投資資金を借りないからであり,銀行が国内生産用の設備投資資金を貸さないからです。

リスクの金銭評価とは何か?

えっと,リスクは一般に,不確実性であり,したがって直接的には貨幣額という形では現れません。このリスクを計算によって貨幣額で換算するということです。例えば,ある企業への貸倒れリスクが他の企業よりも高い場合には,その企業への貸付にはリスクプレミアムを付けます。この場合には,リスクプレミアムは利子率で表されますが,利子率自体が貸付資本の価格です。

ミシンの具体例の話があったが,イノベーションは予測がしづらいとのことだったが,同じ業界の人間であれば開発に着手した段階で噂として広まりそうだが,いかがか?

同じ業界とはミシン業界の話でしょうか? そういう噂が広まることもしばしばあるでしょう。で,開発に着手したからといって,その開発が成功するのかしないのか,成功するとしたらいつ市場で発売されるのかは不確定です。

3. その他

熟練労働と複雑労働のどちらにも該当する労働があるか?

いくらでもあります。

利潤最大化を考える中で,お金という要素だけに絞って考えていいのか,他に利潤最大化を考える際に考慮すべき点はないのか?

利潤最大化を考える場合には,すべてをコストとして計算する必要があり,市場社会ではこのコストは価格に,つまりお金という要素に還元されます。

それとは別に,現在の株式会社の経営者が利潤最大化を唯一の行動原理としているのかどうかについては,議論の余地があります。この問題については,政治経済学2で取り扱うことになります。

最近の本屋雑誌等でアベノミックスの目標の一つである物価上昇に関してはうまくいっていないと論じられているが,円安の影響や消費税の増税でかなり物価が大きく上がったように感じるのだが,これはどういうことか?

確かに講義の中で(1)本来の貨幣的な物価変動,(2)景気循環に伴う物価変動,(3)生産力の上昇に伴う物価変動を区別しましたが,さすがにこの質問はこの講義の主題からは外れているように思われます。

で,あなたが読んだ雑誌の結論はよく分かりませんが,一般論で言うと,現時点で消費者物価の対前年比2%の上昇という,黒田総裁が就任時に宣言した目標を達成できていないからでしょう。


  1. (注1)もちろん,労働対象だろうが労働手段だろうが,連続的なものなんて一つもないのであって,すべて多かれ少なかれ離散的です。けれども,それでも,たとえば小麦粉なんてのは抽象によって連続的に考えることができるわけです。これに対して,労働手段の多くは,言葉を換えて言うと資本の一回転を超えて持続する固定資本は,連続的な量ではないということが本質的です。だからこそ,減価償却が必要になるわけです。