質問と回答

必須労働時間の短縮・労働力の価値低下=必須生産物の価値低下はいつでも当てはまるのか,例外があったりすることはないのか?

価格で考えると,貨幣的要因による価格上昇(本来のインフレーション)および好況期の価格上昇(供給増大が需要増大に追い付かないということに起因する物価上昇)を考慮に入れなければなりません。しかし,価値の議論はそのような要因からは独立しています。そして,価値のタームで考える限りでは,価格性能比(価格品質比)で考える限り,必須生産物の価値低下は一般的に当てはまると言えます。それが労働力の価値低下,従って必須労働時間の短縮に帰結するかどうかは,絶対にそうだと言えるわけではありません。生活水準という,技術から独立に柔軟に変動しうる要因がからんでいるので。

革新的企業について,多利多売が可能であるならば,どの企業も従来型から革新的,新しい生産方法を導入することは基本だと思うが,それでも従来型があり続けるのは何故なのか?

講義で述べたように,資本主義的営利企業によるイノベーションには運/不運を含むコストリスクとがあるからです。詳しくは『6. 生産力の上昇』の「新生産方法の普及」および『リスクとコストの私的負担』をご覧ください。

新生産方法は必ず広まるとあったが,それは市場からの需要がある場合だけか?それともそれがなくても広がるのか?

もちろん,市場からの需要がある場合だけです。

「通常の期待利潤」は技術革新を起こしていないその他の企業が得る利潤という理解でいいのか? 超過利潤を生産するというのは具体的にはどういうことか? 企業内における通常利潤と超過利潤の区別があまりよく理解できなかった。生産力を上昇させ,同時に原価や費用を抑えることで利潤(利益)を拡大させることで企業として成長していく点における利潤はどちらに該当するのか? 通常利潤≒機会費用というと,他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益が企業内価値における通常利潤とはどういう利潤となるのか? 〔同じ問題についての質問だったので,一つにまとめました。〕

年間レベルで考えます。期待利潤というのは,一定の投資に対して得られると期待することができる利潤額です。それは部門(例えばシャツ業界)の年間期待利潤率によって決まります(投資額に対する年間の利潤額の比率)。

もちろん,シャツ生産部門の中を見てみると,大儲けしているシャツメーカーもあれば,大損しているシャツメーカーもあるでしょう。実際にやってみなければどのくらい儲かるか分からないというのが市場の投資活動です。しかし,だからと言って,儲かるかどうかもわからなくて,全くのギャンブルで資本主義的営利企業が投資するわけがありません。他業界の企業がシャツ業界に新規投資する場合にも,既存のシャツメーカーが追加投資する場合にも,“この業界にこれだけ投資すれば平均してこのくらいは儲かるだろう”という期待値,平均値があります。もちろん,その上で,自社のメリット,自社の強みを勘案するわけです。その値を各部門毎に計算して,最も有利だと期待することができる投資先を選択するはずです。つまり,最も期待利潤率が大きな業界が投資先として選ぶ基準になるはずです。

このような部門(業界)の期待利潤率は そして,完全な自由競争が成立する限りでは,リスクプレミアム等を別にすると,完全に一致する傾向にあるはずです。

生産力を上昇させ,同時に原価や費用を抑えることで利潤(利益)を拡大させることで企業として成長していく点における利潤はどちらに該当するのか?──通常の期待利潤だけではなく,それを越える超過利潤を手に入れることになります。

普及の話で瞬間的に普及しないと言っていたが,その瞬間的の基準はどのくらいなのか? 現代では様々なものの移動速度が速くなっているが,将来的に普及速度はさらに速くなると思うか? 資本主義社会において新生産技術は瞬間的には不可能でも割と短期間で普及するとのことだが,普及のスピードを左右する要因にはどういったことが挙げられるのか? 資本主義が短期間で普及することが利点なのは理解できたが,どの程度の普及にスピードがかかるのか,社会主義とくらべてどうなのか? 〔同じ問題についての質問だったので,一つにまとめました。〕

どの程度の普及にスピードがかかるのか将来的に普及速度はさらに速くなると思うか?──基本的には技術的な条件に依存します。この面から見ると,普及の速度はますます速くなると期待されます(科学的知識が基盤である以上)。しかしまた,副次的には,社会的な条件に依存します(特許制度など)。そして,もちろん,十分な需要があるということが大前提になります。

社会主義とくらべてどうなのか?──社会主義というのは資本主義の後に来る社会でしょうか? それならば,普及そのものに意味はなくなると思います。一方では,すぐにも普及させる必要がある新生産方法については,社会がそのコストとリスクとを負担して,ゼロ秒で普及させればいいのです(注1)。しかし,他方では,新生産方法の急速な普及が社会全体にとってはマイナスの効果をもたらすような場合(例えば環境に負荷を掛ける,あるいは現在稼働中の既存の設備を廃棄するコストが大きすぎる,など)には,無理にその新生産方法を普及させる必要はないのです。必要であるのは,資本主義の合理性に逆らうことではなく,全体の合理性なんておかまいなしに部分合理性を強制してまう中で資本主義の非合理性を解決していくことだと思います。

昔は新生産方法は全然伝わらないか,伝わるのに長い年月が掛かったとあるが,昔はどのように新生産方法の知識が広まっていたのか?

そもそも伝わらずに途絶えた生産方法もたくさんあります。伝わる場合には,(書物のようなメディアを通じての伝播ではなく)人をつうじての直接的な伝播が基本です。そして,この伝播は“どの人類社会でも共通な経済活動”で見たようにもともと労働のポテンシャルに含まれているものです。

“新技術の導入で利潤が増える”との説明だったが,ここで言う新技術とは“労働生産性を上げ,労働単価を切り下げるための技術”という認識でいいのか? それとも,“新技術のより性能の良い製品を作り出し市場のシェアを伸ばすことで利益を増やす”ということなのか?

両方です。最初にやりましたが,生産力の上昇には量的な側面と質的な側面があり,この講義では基本的に後者を前者に還元しています。つまり,価格性能比(価格品質比)が上がれば,価格が絶対的に下落したのではなくても,相対的に下落したと考えます。

市場のシェアを伸ばす。──生産力の質的上昇の場合に,もしプロダクトイノベーションの画期性が十分に大きいのであれば,明らかにそれによって新しい市場が形成されます。これは生産力の量的上昇の場合には出てこなかった問題です。詳しくやるならば,この問題を扱わなければなりませんが,この講義では捨象しました。

どちらの場合にも,社会的帰結は同じであって,生活水準上昇以上に,価格が相対的に下落し,こうして労働力の価値も下落します。

資本主義社会では新生産方法は短期間で普及すると言っていたが,企業秘密などで新生産方法が広まらないことがあるのではないか?

広まるのに時間がかかることはありえます。『6. 生産力の上昇』の「新生産方法の普及」の「知識の私有」の議論を思い出してください。なお,特許については,講義の中で述べたように,そもそも新生産方法・新生産物を普及させる(普及と開発インセンティブとを両立させる)ための法制度です。

従来型企業の企業内価値>革新的企業の企業内価値というのは革新的企業の方が生産コストが小さいという意味か?

その通りです。

革新的というのはT型フォードのようなものか?

質問の意図をきちんと捉え切れていません。T型フォードそのものはプロダクトイノベーションです。そして,このプロダクトイノベーションにともなって,流れ生産などのプロセスイノベーションが生まれました。この講義の定義ではどちらも「革新的」なのですが,あくまでもプロセスイノベーションを念頭において講義を進めてきました。

で,まぁ,T型フォードほど“革新的”でなくても,十分に超過利潤は生まれます。

スライドで賃とあったのだが,賃と同じ意味なのか?

全く同じ意味です。江戸時代の日本は金銀複本位性であり,その名残から,貨幣に関連する用語の中で金ではなく,銀を用いる用語が残っています。賃銀もそうですし,路銀(=旅費)もそうです。また,銀行は現在でも金行ではなく銀行です。

賃銀については,最近は賃金と書いている人の方が多いので,比較的に作成時期が新しいスライドでは賃金と表記されているはずです。賃銀と表記されているスライドは比較的に作成時期が古いスライドです。本来は,学生の混乱を避けるために,新しい表記(賃金)に統一するべきなのですが,こちらの見落として統一が十分になされていません。

費用・リスクの私的負担を社会化するという話でどのように社会化されるのかという点が理解できなかった。

うーん,どのように,という質問については,スライド及び講義で述べた通りです。費用については,例えば性能上昇が著しいような固定資本の場合にはリース。リスクについては,その私的性格は本質的であって,ぶっちゃけいい例が思い浮かばなかったので,保険という例を出しましたが一般化するには無理があります。

ひょっとしてあなたの疑問は「社会化」という用語の意味に関連しているのではないでしょうか? 社会化というのは,一般的に,個人でおこなうことを社会を通じて行うということ,要するに物質代謝の社会的運営一般を指します。しかし,この場合の「社会化」とは市場社会の原理の枠内での社会化であって,要するに,私的負担を市場を通じて外部の業者に外注化するということを意味します。意味内容としては,家事の社会化,育児の社会化なんかと大体同じです。

革新的企業における新しい生産方法とは具体的にどのようなものがあるのか? 例えば短時間で大量に製品を作ることができるような機械を導入し,人件費を削ることで,より多くの利潤が出るような生産方法が新しい生産方法にあたるのか?

機械設備の導入は今日における新生産方法の導入の第一のものですね。詳しくは『7. イノベーションの構成要素』で,協業,分業,科学的知識の意識的・計画的応用の順で見ていきます。

日本の企業は労働時間をサービスで残業したり賃金に見合わない労働強度で行われている,いわゆるブラック企業が多いのではないか?

おっしゃる通りですね。個々の資本主義的営利企業を見る限り,ブラック化は利潤を増やす非常に有効な方法です。そして,利潤を増やす有効な方法である以上,そして資本主義的営利企業の目的は利潤最大化である以上,どの資本主義的営利企業も潜在的にはブラック企業です。資本主義的営利企業には,ブラックなブラック企業とグレーなブラック企業とがあるだけです。ためらいもなくブラックなブラック企業になった資本主義的営利企業がブラック企業と呼ばれて非難されているだけの話です。

それだけではありません。資本主義社会は資本主義的営利企業が生産・流通を支配しているような社会であって,従って資本主義的営利企業の原理が社会の隅々にまで浸透しています。ですから,利潤最大化を自分の活動の制約条件にしなくてもいいはずのNPOなんかも,しばしばブラック化します。その意味では,資本主義社会はブラック社会です。

しかし,ブラック企業化で資本主義の発展を説明することはできません。これは日本資本主義の発展の場合でも同様です。そこで,この講義では,労働時間の延長と労働強度の増大とが有効であるということを前提した上で,しかし労働生産力の上昇をテーマにしているわけです。

革新的企業の企業内価値は従来型より低いとあるが,生産効率よりもサービスの質を上昇させた場合,企業内価値は上がってしまうのではないか?より質の良い物やサービスを提供するとなると生産にかかるコストは必然的に上がると思うので,革新的企業であっても質を重視した場合は企業内価値が上がるのではないか?

ですから,この講義では,価格性能比ということを強調したのです。価値上昇よりも品質上昇の方が高い限りでは,相対的には価格は低下します。価格の低下も品質の向上もどちらも生産力の上昇要因です。

労働力の価値を低下させると生産力の上昇は難しいと思うし,コスト削減や価格変動は確かに効果はあると思うのだが,この二者(労働力の価値低下と生産性上昇)はどのようにすれば上手く作用するのか?

やや質問の意図を捉え切れていません。労働力の価値上昇と生産性上昇による利潤増大とが両立する条件でしょうか? それならば,付加価値総額の増大です。

コモディティ化と講義で言っていたがどういう意味なのか?

コモディティ化とは,専門用語ではなく,一般に,商品が,差別化されにくくなり,量産化されて,品質競争ではなく価格競争が競争の主戦場になっているようになることです。もともと商品(コモディティ)とは,オンリーワンの芸術作品ではなく,量産可能な日用品です。コモディティ化とは,商品のこの性格が明確に表れるようになっていることです。

ここでは,モノを作る際の生産コストを抑えることで賃金を下げ,それが労働力価値を下げるという意味で,労働力価値=モノの価値と考えることができるのか?

ちょっと違います。通常は,一国の内部では,労働力の価値が他の商品の価値を規定するのではなく,商品の価値が労働力の価値を規定します。そして,両者はイコールではありません。

なお,労働力の移動に制限がある国際的取引の場合には,生活水準の違い,従って労働力価値の違いが商品の国際的価値の違いに反映してきます。簡単に言うと,同じ社会的必要労働時間が費やされた同じ品質の商品であっても,発展途上国の商品は安くなり,先進国の商品は高くなります。

「競争している時に値段を引き下げれば儲かる」とあるが,値を下げても必ずしも儲けが出るとは限らないのではないか?

その通りですね。この場合に,もちろん,需要が対応していなければなりません(価格を下げれば売り上げが増える,少なくとも他社からシェアを奪うことができる)。そして,それを前提すると,原価を引き下げなければ,講義で見たように,ただの薄利多売になってしまいます。

補足プリントにある「リース」とは何か?

この場合,固定資本の物品貸付のことです。現在でも,コピー機なんかは通常はリース契約が結ばれています。以前は,大型汎用機の全盛期には,コンピュータはリースするのが普通でした。このような固定資本のリースの中には,中途解約が不可能なものもあります(ファイナンス・リースと呼ばれるものは通常,中途解約不可能です)。しかし,講義で言及したリース契約は中途解約可能なものに限られます(そうでないとイノベーションのコストを分散することができません)。

「業界で期待利潤は同じ」と言うが,業界の大きさや特性によって変わってくるのではないか?

とりあえず,業界間でリスクが違うと,(たとえ完全な自由競争が成立していても)期待利潤率はリスクプレミアムの分だけ違ってきます。しかし,社会的な観点からは,そしてまたこの講義では,リスクと同様にリスクプレミアムも費用として換算するべきです。リスクプレミアムは個々の企業にとってはリターンですが,社会全体の観点から見ると,ハイリスクな業界を維持するためのコストだと考えることができます。これは(さらっとですが)講義で述べたと思います。

その上で言うと,完全な自由競争の下では,期待利潤率は部門間で均等化される傾向にあります。もちろん,完全に一致しなくてもいいのです。均等化は絶えず部門の期待利潤率の変動(たとえば円安で輸出産業が儲かるようになったとか)によって破壊され,しかしまた不均等はそれ自体として均等化に向かう傾向を持っているわけです。そして,完全な自由競争の下でなくても,競争がなくならない限りでは,この均等化の作用それ自体はなくなりません(完全に均等化はしないでしょうが)。

以上を前提して言うと,確かに,業界の大きさや特性によって期待利潤率は変わってくるということはありうるでしょうし,現にあります。その中で,必然的な要因であるのは,なんらかの意味で競争が機能不全になっているということに帰着します(需要が伸びている業界で,供給が追いつかずにハイリターンになっている場合なんかも,競争の機能不全に含まれます)。

「2番手の方が生き残っていることが多い」とあるが,しかし,やはり一番でないと難しいのではないか?〔……〕特許とかもあるし,2番手のリスクもあるのではないか?

おっしゃる通りです。講義でも強調しましたが,最近のIT業界のように,ニッチから新市場を立ち上げる際に,一気に勝ち逃げして独占するというビジネスモデルがかなりの程度,成功することがあります(ただし,ニッチ市場が安定的に巨大化するのに連れてこの独占が脆くも崩壊してしまうというモデルもわれわれは今日,目にしています)。その際に,もちろん,特許が武器になります。そして,新市場を一気に一番手企業に独占されたら,二番手企業は互換路線等を取るしかなく,そういう市場ではハイリスク(イノベーション特有のリスク)を負って一番手になるしか無いということになります。これがあなたが言う2番手のリスクです。

新しい発明がこれまでのプロセスに応用できるのかという疑問点があったが,新生産方法も,普及しても,プロセスをその方法で活用しきれるのか,又,従来と何か変更点が出るのでは? New!

やや誤解があるように思われます。新しい発明品である機械設備の導入⊂新生産方法であり,かつ,プロセスの変革⊂新生産方法です。

恐らく質問者が言いたいのは,“新しい機械設備の導入などがなくても,例えば分業の細分化によって,新生産方法が導入される;その場合にも,新しい機械設備の導入の場合と同様に,リスクが生じるのではないか?”ということだと思います。その質問に対する回答は“はい,その通り”です。

〔生産力上昇による労働力の価値の低下の〕前提には生活水準の維持とあったが,紛争や戦争で生活水準の維持が困難という場合があると思う。この場合は,賃金は下げられず,利潤は増加しないのか? New!

賃金は景気循環の中での比較的に変動します(賃金が好況期に上昇し,恐慌前に暴騰し,恐慌期に暴落するという変動)。消費手段の価格もこれに応じて変動しますが,通常のコモディティー(量産可能な工業製品)の価格変動は賃金変動に追い付かずに,実質賃金タームで考えると,労働者は好況期には豊かになり,恐慌期には(失業も相まって)貧しくなるのが普通です。

しかし,このような景気循環内部での豊かさの変動は生活水準の変動とは考えられません。生活水準の変動は一定期間持続するものであって,先進資本主義においては,長期的に考えると,生活水準は上昇するはずです。

しかし,生活水準が必然的に下落する局面があります。それは前近代的共同体から資本主義への移行の時期と,戦中戦後です。

前近代的共同体から資本主義への移行──いわゆる「近代化」あるいは「離陸(テイクオフ)」──の時期には,多くの場合に,前近代においては共同体成員の生活の基盤であったものが,多かれ少なかれ暴力的・強制的な方法で,収奪されます(注2)。しかも,通常は現代化(近代化)を進める政府が率先して,この収奪を合法化します(最低限,行き過ぎて統治基盤を危うくしない限りは黙認します)。共同体成員が共同で使う入会地が収奪されるのとともに,個人の土地そのものも収奪されます。そうすることで,資本の蓄積とともに,近代的な賃金労働者の創出が政策的に促進されるわけです(資本蓄積については外国資本の利用という手もあります)。この収奪の結果として,しばしば,生活水準の絶対的低下が生じるわけです。

賃金は下げられず,利潤は増加しないのか?──総力戦の場合には,当事国は,軍需産業等,一部の産業を除くと,生産そのものが支障をきたしてしまいます。労働力も生産ではなく,戦争に動員されます。軍事技術においては,個々の私企業では負担できないほどの予算が使われるから,技術革新が促進されますが,市場を通じて普及するのではないから,ビデオで見たような技術革新の相互誘発がおきにくいのです(要するに,軍事技術の民生転換は,通常は戦後に開花します)。そして,特に戦争に敗北した場合には,資本が物理的に破壊されます(もちろん,その結果として資本が価値破壊されます)。──このような場合には,付加価値そのものが絶対的に下落します。従って,賃金も利潤も低下します。


  1. (注1)今日では,ゼロ秒で普及させなければならない場合には,国家が法的に強制します(遵法するだけでは超過利潤は生まれませんが,方に逆らうとペナルティがあるのでマイナスのインセンティブが働きます)。ただし,負担は基本的に個々の私企業が負いますが。

  2. (注2)たとえ暴力・強制力を用いないような純粋に経済的なやり方(市場での商品の売買)だけが行なわれると仮定しても,前近代的共同体から資本主義への移行は避けることができません。しかしまた,それがかなりの間,遅れる,あるいは不十分にしか行なわれない,ということはありえます。例えば,多くの発展途上国のように,都市部では資本主義的生産が行なわれるものの,農村は旧来の前近代的共同体の構造を維持し続けるということがありえます。これに対して,市場経済外的な強制力の行使(最終的には政府を通じた)は,このような「近代化」を促進するわけです。