このページは,立教大学 経済学部 政治経済学1の2014年06月10日の講義内容について,リアクションペーパーで提出された質問への回答のページです。
質問の引用に際しては,表現を変えたり,省略したりすることがあります。
回答は,一般論を述べているものではなく,あくまでも講義内容を前提したものです。つまり,講義を聞いているということを前提にして,論点をはしょったりしています。
2015年06月05日:22. リスク負担によって2番手企業が勝った例はあるのか?に若干の追記。
特許制度については講義の中でも説明しました。要するに,知識の私有が瞬間的な普及を不可能にする一つの要因になるということです。その限りでは,「普及の加速を阻害する」(特許がなければ普及がもっと加速されていたかもしれないという意味で)と言うこともできます。しかし,だからと言って,「普及することはない」とは言えません。
これまでの歴史においてはプロパテント(特許保護を強化する)の時代とアンチパテント(特許保護を緩和する)の時代があります。今日はプロパテントに偏りつつあるので,普及を妨げる面が前面に現れているのは確かです。そこで少しわかりにくい所がありますが,けれども基本的な点は変わりません。すなわち,特許制度はもともとは新技術の開発の私的インセンティブと新技術の公開の社会的な利益とを──一言で言うと新技術の私的開発と社会的普及とを──両立させるためのものです(公開代償説)。もっと短縮して言うと,それは新技術の公開,従って普及を社会的な目的とするものです。特許権が付与された「発明」は公開されなければなりません。また,公開されているからこそ他の企業は自社に必要な発明を調べ,ライセンス契約を結べばこの発明を使うことができます。実際に,先端テクノロジーについては,巨大企業間では,複雑なクロスライセンスを通じてなし崩し的に新テクノロジーが普及しているのを見て取ることができます。そして,一定期間が終了したら特許権が消滅して,誰でも無料でこの発明を使うことができます(実際には,今日の技術革新の速度からすると明らかに長すぎると私は思いますが)。
もちろん,個々の企業は普及を遅らせる手段として特許取得を使うことができるわけです。しかし,これに対して,国家は普及させるための手段として特許付与を使うわけです。
プログラムが著作物だとされているから,今日ではその限りで著作権も技術革新に関わってきます。また,その限りでは,普及の促進を遅らせるという点では著作権も特許権と同じ機能を果たします。しかし,著作権については,もともと立法趣旨が特許権とは全く違います(文化保護)。
もちろん,個々のケースとしては独占し続けることもあるでしょう。しかし,それはシステムの必然性ではありません。企業は通常は新生産技術を独占しようとします。しかしながら,技術的および社会的要因により独占し続けているのは難しいということを「新生産方法の普及」のスライドを見ました。独占し続けるのが難しいからこそ,特許を取ろうとするのです。そして,特許制度の意義については上で見たとおりです。
革新的企業が供給能力が増大している可能性を考慮に入れると,当該市場において革新的企業が生産した商品の割合が普及率を指すと考えてください。(もしそれを考慮に入れないならば,当該部面において革新的企業が全企業に占める割合で代用可能です)。普及率が100%になったところで,普及が完了します。実際には,普及率が100%になる前に,新しい技術革新が生じると想定することができます。
その通りです。講義の中で,プロダクトイノベーションにともない(特にニッチから)新市場を立ち上げるような場合(特にネットワーク経済性が生じてデファクトスタンダードを握ること,ルールを自社が制定すること重要であるようなIT企業の場合)には,二番手モデルが通用せずに,一番手で勝ち抜けるしかないというモデルが増えてきたと言いました。こういうモデルの場合には,最高に加速された状態から普及がはじまり,普及すればするほどその速度は落ちてくると考えることができます。
そのような場合には,通常,ルールが安定した(ルール間の競争に勝った)時点で,ルールをにぎった(あるいはライセンシーを受けた)諸企業の寡占状態が成立します。ルールが陳腐化しない限りでは,この寡占状態は比較的に安定しますが,新市場間(新部面間)の競争がなくなるわけではありません。競合するルールの成立によって,この市場自体が縮小してしまうということが大いにありえます。
それは企業にとっては素晴らしいことですが,完全な自由競争が成立している限り,不可能です。コントロールできないのが競争です。他の企業が革新的企業として参入してきてしまうので。
ただし,完全な自由競争という枠を取り外して考えると(市場の外部からの法的強制を考慮に入れると),例えば特許なんかは企業としては普及を少しでも遅らせる手段として使うことができます。特許の制度的な特質は上記のように普及にありますが,企業のメリットとしては普及を送らせることにあります。
基本的にその通りです。もし普及が普及率100%近くまで継続するならば,普及末期には,超過利潤を延ばすどころか,赤字を食い止めるために,ということになります。
普及完了(普及率100%)⇒超過利潤ゼロということです。「新たな革新」は普及率100%になったら自動的に生じるものではありません。もしかしたら,技術革新が停滞してしまうかもしれません。逆に,──こちらの方が遥かにありがちなことですが──,普及が完了する前に「新たな革新」が生じることもできます。
「外には絶対に出さないように」しても外に出てしまうからこそ,知的所有件や営業機密で保護しなければならないわけです。で,特許制度については別の質問に対する回答を参照してください。
軍事テクノロジーの民生転換については,ビデオ『電卓戦争』で少し見ることになります。インターネットの場合には少し事情が違っているのですが,軍事目的の技術であれば租税で巨額の開発費が確保されます。今日では,そこに民間企業が参加する場合が多くあります。ともあれ,最初の一撃は軍事テクノロジーであっても,それを民間企業が導入するということによって普及し,また民生利用の中で新たな応用系が次々と現れます。従って,最初の開発費負担は軍事費起源であっても,そこから派生してくる技術革新については,この講義で民間企業を想定している普及のプロセスが当てはまります。
それとは別に,政策と技術革新との関係を入れて考える場合には,企業だけではなく,政府,大学等研究機関の参与を無視することができません。この問題については,講義で取り上げる時間がありませんでしたので,講義で紹介した参照文献をご覧ください。
「普及が2次曲線的になる場合」とは,講義の中で紹介した,先行逃げ切りモデルのような感じでしょうか? 関数の形としては2乗と言うよりは,1までをレンジ(値域)とする1/2乗の方が近いと思いますが……。それとも,講義のスライドのように,ロジスティック関数を想定して普及期のドメイン(定義域)を切り出してきたのでしょうか?
ともあれ,陳腐化は当該新テクノロジーの普及だけで決まるものではありません。例えば,普及率が100%になると,当該新テクノロジーが自動的に陳腐化するというわけではありません。そうではなく,代替的/後継的な新々テクノロジーの導入によって決まります。『電卓戦争』のビデオの紹介の際に講義で例に出したように,代替的/後継的な新々テクノロジーの導入が比較的短期間に連続的に生じる場合には,普及率が低い段階で当該新技術が陳腐化してしまいます。と言うわけで,加速と陳腐化とは独立の現象です。ただし,加速が後継テクノロジーの開発と導入を刺激する限りでは,当該テクノロジーの陳腐化を速めると言うことはできます。
公共事業の場合には投資主体は政府であってもちろんその目的は公共目的ですが,参加する民間企業の目的は利潤目的です。ですから,民間企業においては,阻害要因がない限り,この講義で説明したような普及プロセスが妥当します。
あなたの疑問点は,公共事業と言うよりは,“事業主体がNPOや政府系企業/三セクなんかである場合には,どうなるのか?”ということではないでしょうか? もちろん,これらの事業主体も市場社会で活動する限りでは赤字を継続するわけにはいきませんし,資本主義社会で活動する限りでは利潤動機から自由ではありません(特にNPO)。が,ここでは,利潤動機から自由であると仮定しましょう。
その場合にも新テクノロジーは普及しうるのですが,この講義で見たような市場での自由競争を通じたシステムに強制された(自動化された)普及のメカニズムを通じてではなくなるでしょう。その場合には,法律的に強制されるか,あるいは自主的に選択するか,ということになるでしょう。どのみち普及を市場任せにするというわけにはいきませんし,無為無策だと技術革新が停滞しかねないでしょう。
その通りです(技術革新に基づく超過利潤については)。
講義で見たように,超過利潤を目指して各企業が市場で競争するからです。
講義で見たように,革新技術を導入するために,コストが必要であり,リスクがあるからです。
新しい生産方法の導入や技術の発展に多大な資金を投入しているだろうから,最終的な利潤はあまり大きくならないのではないか? それは費用と売り上げとの関係次第であって,やってみなければ分かりません。企業としては「多大な資金」を上回る超過利潤が獲得できると期待しているから,技術革新関連の投資(固定資本形成やR&D投資など)を行っています。
違います。「普及が完了すると……革新的企業になるメリットはなくなる」のではなく,革新的企業しかいなくなる(従来型企業はいなくなる)のです。だから,「革新的企業にならざるを得ない」ということもなくなります。
ちょっと質問の趣旨がよく分かりません。革新的企業が商品一単位当たりの「超過利潤を削」るということは,要するに,販売価格を下げるということなので,そうすると革新的企業が供給する商品のシェア,すなわち普及率は高まるので,その限りで「普及速度が速くなる」と言えます。ただし,革新的企業は金儲けのために生産を行っているのであって,普及速度を速めるために生産を行っているわけではありません。現実問題としては,革新的企業が利潤極大化を妨げるくらいに販売価格を下げるとしたら,それはシェアを独占するためにでしょう。
「また,それでも普及が完了しなければ事業を撤退した方が良い」というのはちょっとロジックがはっきりとしません。革新的企業は超過利潤を獲得しているのですから,もしシェアを独占することができるならば独占するなり(この場合にも普及は完了します),そうでないならばこのまま事業を継続するなり,すればいいのではないかと思うのですが。
そんなことはありません。case by caseです。この講義で紹介したような,新しい,外部で(ミシンメーカーで)開発された高性能のミシンシャツメーカーがを導入するという例であれば,実のところ,これはもう条件さえ整えば比較的に短期間で普及が進むということになります。工場全体をリプレースしたり,特許権がからんでいたりするわけではないので。
まず,この講義では,巨額の固定資本形成をともなわない「アイデア勝負の世界」も技術革新に含めています。
次に,1回の技術革新における超過利潤総量が曲線の下の領域の面積(積分)だということはその通りなのですが,この面積は普及期間とともに商品一単位当たりの超過利潤にも依存します。すなわち:
一概に普及期間が短くなったからと言って,一概に超過利潤総量が減少するとは言えません。それはともかく,超過利潤総量が減少するという前提の上で話をしましょう。
そのような前提をおいても,「アイデア勝負」ではないような「技術革新」がなくなると一概に言うことはできないでしょう。要するに,費用負担の方が減少すればいいのです。
最後に,費用負担が減少しないと仮定しましょう。実際にまた,一方では世界的に見ると,イノベーションを行おうと行うまいと,逆にますます巨額の固定資本の初期費用負担が必要になりつつあります。これが全生産部面のトレンドならば,利潤率が低下することに帰結します。そういう状況下で,利潤を上げる方法も限られているのであって,たとえどれほど超過利潤総量が減ろうとも,技術革新は有効な手段であり続けます。いや寧ろ,収益性が悪化した場合には,ますます技術革新によって超過利潤を獲得しようとするでしょう。
新生産方法の導入による超過利潤は,ということです。超過利潤はその他の原因(つまり普及しない原因,例えば土地の豊度の違いなど)によっても生じます。
で,ここでは,完全な自由競争とコスト引き下げの新生産方法を想定しています。そうすると,新生産方法の導入による超過利潤は当該商品の市場価値と新生産方法を導入した革新的企業における当該商品の企業内価値との差額になります。新生産方法が普及すると,それに連れて市場価値が低下してしまいますから,革新的企業が獲得する超過利潤もまたそれに連れて低下してしまいます。やがて,普及率が100%になると,この部面には革新的企業しかいなくなるから,革新的企業における企業内価値が市場価値と等しくなります。市場価値と,革新的企業における企業内価値との差額が超過利潤だったのですから,両者が等しくなったと言うことは超過利潤が消滅したということを意味します。
『6. 生産力の上昇』の新テクノロジーの導入については,両者を区別して話をしています。
講義で述べたように超過利潤の獲得です。ハイコスト・ハイリスクでもその分,成功すればハイリターンになります。
おっしゃる通り,参入のリスク・コストが参入によって得られる超過利潤の期待値よりも低いという判断が成り立つと,そういうことが当然に起こります。でも,現実においてそれよりもありがちで,それよりも重要なのは,講義でもやったように,新生産方法の普及率が100%近くになる前に,新々生産方法が導入されて,新生産方法が陳腐化する場合,つまり連続的な技術革新の場合です。この場合には新生産方法(新々生産方法の導入によって既に旧生産方法になってしまっている)の普及率上昇は原則としてその時点で停止します(純粋に理論的な問題としては,コスト上の問題から,新生産方法から既に陳腐化された生産方法にリスイッチするという可能性もないわけではないのですが,ここでは無視して構いません)。
電卓戦争のビデオなんかで例を見ることになります。
古典的な事例としては,梳綿および紡績におけるアークライトを挙げることができるでしょう。また,何よりも,アークライトは,先人の業績を自分の特許にした(後に特許無効の判決が出ます)という点で,歴史に記憶されている人物です。
また,2番手企業が勝った例を重視するコンセプトとしてレヴィットが造語しドラッカーが広めた創造的模倣があります(注1)。この場合には単に模倣するだけではなく,1番手企業が発明した商品を,マーケットに受け入れられるように,完成させるということに眼目があります。1番的企業がテクノロジーシーズを提供し,2番手企業がマーケットニーズに対応させるという感じです。で,何故に1番手企業にならないのかと言うと,もちろん,たまたま発明できなかったということがあります。しかし,それを意図的に戦略としてとるからには,たまたまそうだというのではなく,リスク回避が少なくとも一因です。ドラッカーも創造的模倣の場合にはリスクが大きくはないということを重視しています。
ただし,これも講義の中で述べましたが,最近の情報通信業界での新規市場をたちあげる競争(品質競争の一種と解釈することができます)においては,最初に市場シェアを握ったものがデファクトスタンダードという形でルールを作り上げるので,なかなかリスク回避戦略が通用しにくいという面もあります。
イノベーションを起こすという意識が薄くなるかどうかは,市場の動向によります。少なくとも「別企業が参入してくることが考えられる」のであれば,獲得できる利潤が減少するから,自社の利益を守るためにイノベーションを起こすモティベーションが生まるでしょう。
あと,上記のように,あるイノベーションの2番手企業も,大きな成功を手に入れるためには,別のイノベーション(マーケット志向のイノベーション)を起こします(技術的に優れたものを人々のニーズに合うように改良するとか)。
普及率は電機メーカーの期待ほどは進んでいないかもしれません。それもまたイノベーションのリスクの一種です。
その企業次第です。やってみなければわからないのでなんとも言えません。そして,この講義は,“革新的にならないことにも十分な理由があるから,普及期間が生まれるのだ”と説明しています。
普及率100%になるまで新テクノロジーの普及が進むと仮定します。従来型企業の場合には,(1) 技術革新の普及の最初は企業内価値と市場価値とが一致します。しかし,技術革新が普及するのとともに市場価値は低下します。従って,(2) 技術革新の普及の最後は企業内価値の方が市場価値よりも高くなってしまいます。
違います。当該生産部面を考える限りでは,「Aという革新的技術によるプラスの利益は残存してい」ません。利潤がなくなったわけではありません。完全な自由競争が成立している限りでは,平均すると,この部面の企業は通常の期待利潤分の利潤を獲得すると期待することができます。
講義で見たように,社会全体(要するに全部面の全企業)をとってみると,実質賃金への下方圧力をもたらす限りで,プラスの利益が生じます。
その通りです。
もちろんです。ただし,(1) 企業買収も製造委託も戦略的提携も,企業間競争で勝つための手段,つまり他の企業に勝つための手段です。(2) それ以前に,それらは企業間競争の結果です。要するに,「勝手に各々で生産性を上昇させ」たからこそ,そして今度はこの企業集団が他の企業との競争において「勝手に各々で生産性を上昇させ」るために,それらが成立しています。
違います。生産力水準を一定と考える限りでは,生活水準が上昇するほど労働力の価値は上がります。
問題は生産力水準が上昇する場合であって,この場合には,講義で見たように,生活水準の上昇と労働力の価値低下とが両立可能になります。
その通りです。
講義でやったように,普及のメカニズムを通じてです。
「これは企業が予想する商品の価値という認識でいいのか?」──違います。企業が予想する商品の価値はあくまでも社会的価値=市場価値です。企業内価値というのは,要するに,総原価に通常の期待利潤を加えたものです。
「従来型企業が市場価値で得られる期待利潤と同じだけの期待利潤を革新的企業が得られる価格と言うことか?」──惜しいです。企業内価値は革新的企業と従来型企業とで違ってます。あと,期待利潤は従来型企業でも革新的企業でも同じであって,個別企業にとっては外生的に与えられています。
どの部面でも個々の企業を見ると大儲けの企業から大赤字の企業までいろいろあります。だからと言って,企業がどの部面に投資するのかという投資先を選択する際に,何も基準にせずに投資先を決定するわけがありません。部面の期待利潤とは,投資において,この部面に投資すれば平均してこのぐらいは利潤が出てしかるべきだという期待値(平均値)のことです。もちろん,企業としては自社の経済的資源(人的および有形・無形の物的な資源)を考慮に入れて,最も有利な投資先を選択するはずです。その際に基準になるのがこの部面の期待利潤です。通常の期待利潤は,完全な自由競争においては,リスクプレミアムを費用に換算すると(あるいはリスクプレミアムを除いて考えると),どの部面でも単位資本あたり等しくなる(つまり利潤率が等しくなる)傾向にあります。この通常の期待利潤は一種の機会費用をなしており,もし投資が結果的にそれを得ることができなければ,赤字でなくても,その投資には機会損失が生じていることになります。超過利潤はこの通常の期待利潤を上回る利潤です。
従って,この企業内価値で販売することができれば,その企業は最低限,通常の期待利潤を獲得することができます。もしこの企業内価値未満で販売するならば,赤字(つまり総原価割れ)でなくても機会損失が生じていることになります。
えっと,新しい生産方法のことです。プロセスイノベーションの場合はもちろん,プロダクトイノベーションの場合でも通常は,イノベーションが起こると生産方法が変わります。
より理論的にいうと,生産様式の変革あるいは労働過程の変革です。労働を主体(あとはすべて客体)と考え,労働の変化が労働力,労働の社会的編成,生産手段の技術的編成の変化をもたらし,これらの変化した諸契機を労働が新たな仕方で統一している点から言うと,それは労働過程の変革です。これに対して,労働をその他の労働過程の要因と並ぶものと考え,労働を含む諸要因の間での結合様式が変化しているという点から言うと,それは生産様式の変革です。
もっと単純に,利潤を最大化するという目的のことを指しています。この目的のためにどういう手段をとるのか──「いかにして(モノを)上手く売り出すか」否か,等──は問題にしていません。
いろいろです。利潤の一部を内部留保するという手(自己資金)もありますし,十分な信用があれば金融機関から借り入れるという手もありますし,それ以外にも証券発行によって直接金融でファイナンスするという手もあります。
もちろん,そういう戦略もありえますが,完全な自由競争が成立している限り,市場価値の低下が進んで期待利潤を稼げないようになると,もう新テクノロジーを導入しないわけにはいかないでしょう。やがて原価割れを起こしたら,売れば売るだけ赤字になりますから。そして,完全競争を想定している限りでは,従来型企業だけで新テクノロジーを導入しないカルテルを結ぶなんてことは不可能です。
革新的であろうとあるまいと,どの資本主義的営利企業も,常に「独占に走」っています。独占したくて独占したくてたまりません。独占しよう独占しようとしています。講義で強調したように,それができないのは,その企業自体の問題ではなく,企業をとりまく外的環境である市場の動向によります。
で,それとは別に,激しい競争の結果は競争の消滅をもたらす傾向があります。競争の貫徹は競争の消滅をもたらす傾向があります。これについては,ビデオで実際に見ていただきます。
コストですが,個々の企業が負担するコストではなく,社会が負担しなければならないコスト(新テクノロジーの普及によって社会の生産力を上昇させるためのコスト)と考えるべきでしょう。
「他に転換する」というのは他部面に転換するということでしょうか? それは他部面の動向(基本的には期待利潤率)によります(その上で,自社の経済的資源がその部面でどれだけ優位かということが計算に入ります)。
「更にちょー革新的企業になるという可能性」は当然にあります。ビデオの時に,イノベーションの連続について,補足することになります。
具体例はいくらいでもあると言うか,ビデオでも実例を観ると言うか,あなたはそのロジックが知りたいのでは? 要するに,新テクノロジーが普及して商品の性能価格比が下がったら(価格性能比が上がったら),もうそれだけで社会の生産力が上昇しているのです。
『6. 生産力の上昇』の「0. はじめに」で出した問題を引きずっているので,「引き下げて」,「吊り上げて」というヘンテコな表現になっています。前者を「より安い」,後者を「より高い」と読み替えたら分かりやすくなるのではないでしょうか。言っている内容は,深遠なものとか難解なものとかではなく,要するに,普及初期には革新的企業は「市場価値より少し安く売っても十分に超過利潤が出ている」ということです。
革新的企業が「総原価を抑えられる」のは,革新的企業生産方法を変革したからです。従来型企業が新生産方法を導入して革新的企業になった瞬間に商品一単位当たりの総原価は減少しています。革新的企業になった後ではその革新的企業の商品一単位当たりの総原価は変わりません(安くなったまま)。また,従来型企業が従来型企業である限りでは,やはり商品一単位当たりの総原価は変わりません(高いまま)。「普及していくうちに」だんだんと変化していくのは,総原価ではなく,市場価値の方です。市場価値がだんだんと低下するからこそ,超過利潤がだんだんとなくなっていくのです。
以上,詳しくはこの講義のWebサイトにあるレジュメをご覧ください。
その通りです。一言で超過利潤と言っても,純然たる独占利潤も,単なる独占可能な自然の豊度の格差に基づくものもあります。従って,ここで述べている超過利潤は特別剰余価値に基づく超過利潤として他の形態から区別されるべきですが,ここでは,他の形態での超過利潤との比較が問題になっていないから,一言で超過利潤と呼んでいます。
メリット・デメリットについては,何を基準にするのかで話が変わってきます。少なくとも,政治経済学1の中心課題である技術革新に必要な巨額の費用をあつめるという点,大規模な組織を運用するという点では,法人企業に利点があります。その他,考え方を変えると,個人企業(あるいはもっと言うと)別の利点が出てきます。この点については政治経済学2のテーマになりますから,興味があれば政治経済学2を受講してください。
講義で述べたように,「資本主義社会は市場社会の元に成り立っている」だけではなく,切っては切り離せないものです。現代社会は資本主義的な市場社会ですが,ここまでは市場社会でここからは資本主義社会だということもありません。現代社会において,両社会は一体のものです。要するに,両社会の違いは原理の違いであって,現代社会は相異なる原理を抱え,その対立の元に成り立ち,また発展しているのだ,ということです。
(注1)『イノベーションと企業家精神』,ドラッカー著,ダイヤモンド社,1985年,ISBN:3034-313030-4405,第371頁以下。なお,ドラッカーが典型例として挙げているのは,メインフレーム(大型汎用機)市場,およびPC市場において後発だったIBMが一気にシェアを奪った事例です。
しかし,講義の中でも取り挙げますが,メインフレーム市場については,IBMが先行者に比べて顧客志向および顧客囲い込みという点で優れていたのは間違いありませんが,一気に先行者からシェアを奪うのに至ったIBMのS360シリーズはそれまでのメインフレームとは全く異なる画期的な商品だったと,この講義は位置付けています。そもそも顧客囲い込みが可能になったのも,OSを含めたS360の製品特性によります。