質問と回答

企業と会社との違いがわからない。また,2つの違いを理解したときに,政治経済学を学ぶ上でどう役に立つのか? 企業と会社の定義の違いは何か? 〔同じ問題についての質問だったので,一つにまとめました。〕

会社については,後に詳しく考察します。ここでは最小限のことだけ。

それから,英語のenterprise(=企業),company(=会社)の違いについてではありますが,以下の説明も参考になるかもしれません。

企業も会社も“資本”が受けとる特殊的形態です。資本というのは,価値の自己増殖(つまりカネモウケ)の運動です。従って,資本というのはヒト(=人格)ではなく,モノ(=物件)です。資本という物件の私的所有者(=人格)が資本家です。資本家は資本を投資・回収を通じて運用します。

この資本という物件は時には貨幣だったり,時には生産手段と労働力だったり,時には商品だったりと,次々と姿を変えながらその価値を増やしていきます。例えば,あなたが,1億円のお金を投資して,シャツ工場と綿布を買って労働者を雇い,できたシャツを販売して1億1000万円を回収した(1000万円を儲けた)と仮定しましょう。あなたの手の中で価値が1億円の貨幣,工場・綿布と労働力,シャツ,そして1億1000万円の貨幣と姿を変えました。しかし,姿が変わっても,あなたが資本家であることには変わりはありません。最初にあなたは,1億円を支出して工場と綿布を買い,労働者を雇いました。あなたの手から1億円は消えてしまいましたが,資本が消えてしまったわけではありません。資本は1億円の貨幣から1億円分の工場・綿布・労働力に姿形を変えただけです。

さて,企業(enterprise),より正確には資本主義的営利企業とは,このような物件の現実的運動として資本を捉えたものです。その意味では,被雇用労働者はもちろん,自ら労働する資本家もまた,企業の歯車,機能しているモノ(=物件)に過ぎません。上で見たように,企業は,通常は,多数の労働者を雇用します。この点こそが,企業を,単なる物件に過ぎない商品・貨幣から区別します。その限りでは,企業は優れて企業組織です。企業組織と考える場合に,機能している労働力がこの組織に入ります。そして,資本家は自ら経営者として労働している限りはやはり他の労働力と同様に,企業組織に含まれます。これに対して,資本家は,例えば,大規模公開株式会社の株主のように,その企業で労働するのではなく,単なる所有者である限りでは,企業組織には含まれません。実際,A社のある株主Bが今日,株式流通市場でA社の保有株の半分を売却しても,それだけでは,企業組織に何らの変更もありません。

これに対して,会社とは,資本家(=人格)の組織として資本(=物件)を捉えたものです。すべての企業が会社になるわけではありません。個人が資本家になっている個人企業は会社企業にはなりません。多数の資本家が結合しているのが会社企業です。ここで,上の例と比較しますと,資本家=私的所有者=人格の組織として,会社を構成する人格はあくまでも株主です。大規模公開株式会社では,通常,株主はその会社で労働していませんが,その会社の構成員(=社員=社団員)をなしています。これに対して,通常の従業員は自分が勤務する会社の構成員ではありません。代表取締役および取締役会もまた,(ここでは株式を保有しない専門的経営者を想定しています),会社の機関ではありますが,その会社の構成員ではありません。

2つの違いを理解したときに,政治経済学を学ぶ上でどう役に立つのか?──上記のように,私的所有者の結合として資本を定義しているのが会社です。(1)全体的に言うと,政治経済学2では,所有という観点から現代社会にアプローチしていきます。(2)部分的に言うと,株式会社の位置付けが政治経済学2の後半部分の主題になってきます。

企業献金をすることによる合法さはどこまで適用されるか?

これも,株式会社を検討する際に,詳しく説明します。ここでは最低限。

日本の最高裁の判決(八幡製鉄所政治献金裁判)で言うと,企業の政治献金は合法化されているのはご承知の上だと思います。だからと言って,企業が総ての政治活動ができるわけもなく,選挙権も被選挙権もないということもまた,自明のことだと思います。従って,ここでは,この問題の位置付けだけを申し上げます。

結論から言うと,“どっちもあり”(合法もありだし,非合法もあり)だということになります。“なんだそれじゃ何も言ってないじゃないか”と思われるかもしれませんが,そうではありません。“どっちもあり”状況が必然的に生まれざるをえないということが問題なのです。

詳しくは株式会社のところで述べます。予告的に言うと,もともと株式会社というのは所有と機能との分離から生まれるものであって,この分裂状況に置いて,分裂した両方を統一することもできず,かと言って,片方をなくすこともできません。この分離は,ちょっと曖昧に,タテマエ(=所有)と実態(=機能)との分離と言ってもかまいません。タテマエと実態が食い違っちゃっているのが株式会社であって,タテマエを尊重しちゃうと株式会社のカネモウケが上手く機能できなくなっちゃうし,実態を尊重しちゃうとタテマエが食い破られて株式会社を正当化することができなくなっちゃいます。そして,現実そのものにおける,換言すると経済活動における,このような分離(所有と機能との分離)が法学でも会計学でも経営学でも,法人擬制説(タテマエにしがみつく立場)と法人実在説(実態にしがみつく立場)との分離という形で現れるのです。しかし,実際には,この分離自体が現実から生まれるのですから,擬制説も実在説も,どちらも正しいと言えますし,どちらも現実の片面しか見ていないとも言えます。

政治経済学,アロー,センといった学者の理論を学ぶのかと思っていたが,〔……〕マルクス的アウフヘーベンの色が濃いのか?

講義でも言いましたが,この科目の名称の「政治」というのは「社会システム全体に関する」というくらいの意味です。政治の話は一切しません。従って,アローの一般可能性定理とかがアプローチしたような政治システムの機能的解明は全く行いません。

この講義は,マルクスの理論に基づいてはいますが,いわゆる“マルクス経済学”で今日主流的になっている考え方とはかなり違っている面があります。従って,それととどこまで一致するのか,保証することはできません。ただし,独善に陥らないように,なるべくこの講義の考え方に反対する説も紹介するようにいたします。