このページは,立教大学 経済学部 政治経済学1の2012年09月25日の講義内容について,リアクションペーパーで提出された質問への回答のページです。
質問の引用に際しては,表現を変えたり,省略したりすることがあります。
回答は,一般論を述べているものではなく,あくまでも講義内容を前提したものです。つまり,講義を聞いているということを前提にして,論点をはしょったりしています。
これは時間的・空間的な広がりがある難しい問題ですね。とりあえず,ラテン系の国々(特にフランス・イタリア・スペイン)での社会編成上の要素としてのcorporationの意味,そして,歴史的な文脈におけるcorporationの用法については,ここでは度外視します。しかも,──恐らく質問者がそうであろうように──,専ら,現在の英語圏におけるcorporationの意味・用法について,しかも法律的ではなく経済的・現実的な意味それの意味・用法について,話を限定します。
ここで問題になっているのは,経済学がそれぞれの用語をどのように位置付けるべきなのかということなのですから,英米での用法の違いについてもほとんど無視します。(アメリカンイングリッシュとブリティッシュイングリッシュとの間での両用語の細かい法制度的あるいは実務的な違いについては辞書を調べて下さい。細かい違いを別にすると,両英語における大きな違いは,主として,会社論における株式会社と合名・合資会社との隔絶,従って合名・合資会社の位置付けに関連しているように思われます。この問題は株式会社の理解にとって重要なことなので,これについては,──両英語における用語の違いとしてではなく,現実そのものの問題として──,今後,講義でも取り挙げます)。
以上の前提に立つと,corporationはincorporatedしたもの,つまり;
という意味で用いられていることが通常ではないでしょうか。例えば,アメリカではほとんどの場合に株主有限責任の企業(≒株式会社)を表す略号としてInc.というのが用いられているとおりです(注2)。もっと言うと,corporationはincorporated companyに等しくなります。
以上を前提にして,この講義の基本的な枠組みから見たcorporationとcompany(会社)との違いをまとめておきましょう(それを通じて,前者と実体としてのenterprise(企業すなわち事業体)との違いもはっきりするでしょう):
第一に,講義で述べたように,companyは“仲間たち”です。すなわち,(1)一般に,companyは,物件(労働力も売買されている限りでは物件です)の結合ではなく,人格の結合です。従って,(2)市場経済のタテマエから見ると,人格は私的所有者として実現されるから,companyは私的所有者の結合だということになります(特にアメリカンイングリッシュではこの意味合いが強くなるようです)。従ってまた,(3)会社の発展形態の文脈で言うと,株式会社にまで発展していようといまいとも(つまりincorporateされていようといまいとも),講義で述べたように,companyは「会社」を意味します;つまり(合名・合資会社などを含む)会社一般を意味します。
これに対して,corporationは,上で見たように,incorporateされたもの,要するに(会社一般ではなく)株式会社を意味します。そして,経済学や経営学が問題にするのはmodern corporation(現代株式会社)とかgiant corporation(巨大株式会社)とかであり,要するに,incorporationを契機にして所有と機能との分離(講義で後述します)を達成した大規模公開株式会社です。
第二に,完成した株式会社の側面について言うと,私的所有者結合しては,companyは社団法人としての会社(法的には,すなわちタテマエの観点から言うと,単なる従業員はこの社団の社員ではありません),すなわち,株主=資本家の結合ということになります。今後に述べることの先取りになりますが,これらは株式会社のタテマエをなしています。要するに,上記のリストで言うと,companyは「B.」の側面(自然人としての私的所有者の結合様式の側面)を代表しています。
これに対して,corporationは上記のような議論で位置付けられる限りでは,通常は「会社それ自体」あるいは上記のリストで言うと,「A.」の側面(法人成りした企業の側面)を代表しているか,あるいは「A.」と「B.」との統合・媒介を意味するか,どちらかのことが多いように思われます。