1. 物質代謝の効率的運営について

労働は媒介的な活動とあるが,目的のために自ら行う労働は直接的な行動であり,直接的な活動ではないか?

自ら行うといっても,知識を利用して,できるだけ自分が疲れるのは避けようとします。手足で直接的に行う必要はないわけで,むしろ効率化のために労働手段を使って行います。社会的労働の場合でも同じであって,直接に肉体労働をする分を減らして機械設備の体系を導入するようになります。──これが,これこそが,労働の原理です。自分は直接に手を下さずに,知識を利用して,また労働手段を利用して,また社会関係を利用して,楽をするわけです。

資本主義が人間(労働者)を効率的運営にさせるように仕向けたので,人間自身が自ら効率的にしようとしたわけではないのではないか?

なるほど,あなたが言うように,どの人類社会にも共通な経済活動における効率化を,資本主義社会という歴史的な社会(歴史的な生産関係)は,カネモウケを推進動機とするということによって,個々の経済主体に(他の経済主体を蹴落としてでも,更には社会全体の効率化に損害を与えてでも)強制し,従って,個々の経済主体にそのように振る舞うように仕向けたわけです。しかしまた,資本主義という,このような歴史的な社会,歴史的な生産関係は,天から降ってきたものでも地から湧いたものでもなく,他ならぬ人間自身がつくりだしたものです。

労働手段の利用による自然媒介と労働力の発達により自分自身を媒介とすることのニュアンスの違いがよく分からない。

うーん,鋏(=自然媒介)を使えば,スキル(=自分自身を媒介)がないやつでも,それなりに上手く切れ,それなりに大量に切れるものです。要するに,今日の15時00分と15時01分とでスキルが違うとは思えませんが,しかしスキルが同じでも,鋏を使うか使わないかで効率性は違ってきます。逆に,同じ鋏を使っていても,スキルの違いで,効率性は違ってきます。こう言うわけで,自然媒介自分自身を媒介とは違うものです。

とは言っても,なるほど,道具の発達とは関連しています。そして,両者の関連は「7. イノベーションの構成要素」で詳しく見ていくことになります。

労働と知識が双方向に働くという部分は,自分の中で新たな発見だった。

間違いなく,双方向に働きます。それとともに,あくまでも起点(出発点)は労働にあります。(1)労働が主動因であるということ,そして(2)双方向であるということ,どちらも重要なので,注意してください。

新労働,旧労働の説明がよく分からなかった。

講義内で飛ばした部分です。この部分については,(スライド配付資料ではなく)レジュメを読むか,あるいは,BlackboardからWeb補講を視聴してください。それでもわからない場合には,もちろん,メール等で質問してください。

2. 人間と他の動物との違いについて

チンパンジーが木の枝を手に持ち,高いところにある木の実を落として食べていた。これは,考え方によっては,環境を自分に適応させているとは考えられないか?部分的には人間以外の生物でも環境を適応させることはできると考えても良いのか?

うーん,生物学的にものを考える限りでは,人間と猿との間には連続性しか見付からないと思います。要するに,人間はちょっとだけ賢い猿だ,という感じで。つーか,人間の赤ん坊なんてまるまるチンパンジーじゃん,いやチンパンジー以下じゃん,という感じで。しかしそれと同時に,われわれは,チンパンジーには超高層ビルを作るということができないってことを知っています。要するに,人間とチンパンジーとは全然違うと言うことを知っています。このような観点から,つまり現代社会における両者の決定的な区別から,この講義は,両者を区別する一般的な特徴を導き出しています。

で,道具については講義内にも申し上げましたが,猿に限らず,アリクイも,他の動物も,道具を使います。しかし,それはあくまでもあり合わせの木の枝を使うだけです。

これに対して,人間は,1m程度の穴を掘るという目的を実現するために,ちょうど適したスコップを自ら生産するわけです。これが環境を自分に適応させるということです。

この講義では,内容抜きに,形式として,つまり言葉として,他の生物個体は直接的,労働する人間個人は媒媒介的だと言いました。しかし,この媒介性を出発点においては進化の結果として人間は手に入れた以上,そりゃ,バクテリアとアリとを比べればアリの方が媒介的,アリと類人猿とを比べれば類人猿の方が媒介的ってことになります。また,こういう形式的な区別をする限りでは,部分的には人間以外の生物でも環境を適応させると言えるかもしれません。しかし,ここでは,重要なのはその中身,その内容です。

人間には他生物とも共通するもの,つまり環境に左右されるものもあると思う。〔……〕他生物にも共通する要素で一番大きく“経済”へ影響するものは何か?

物質代謝です。換言すると,生きているということです。運動内容でいうと本能ですし,運動形態でいうと合目的性(いわゆる合理性)ですし,推進動機でいうと欲求(欲望)です。どれも,生命という同じ現象を指しています。

蜘蛛も巣を作る前に「構想がない」とは必ずしも言えないのではないか?その他にも,海底に住む魚が砂に隠れて近づいて他の魚を食べるという行動などは,構想があるのではないか?

構想を実現するということがどういうものだったのか,講義を思い出してください。クモの巣は台風が通り過ぎるとすっ飛んでしまいます。もし蜘蛛が構想を実現しているのであれば,いまごろ台風に負けない家を作っていたことでしょう。魚の話も同じです。

人間は環境を適応させることができるのは他の生物より進化による適合ができなかったから,能力が秀で適応“させる”ことができるようになったのか,“させる”ことができるから進化しにくくなったのか?

能力が秀で適応“させる”ことができるようになったのは,それ自体,明らかに進化の結果です。猿と人間とでは初期条件がわずかに違ったと言いましたが,その初期条件の違いは進化の結果としてもたらされたものです。そして,ひとたび自然に適応“させる”ことができるようになると,自然に適応“する”必要もなくなったのでしょう。寒い地方に住む人は服をたくさん着ればいいのです(それでも皮膚のメラニン色素の量なんかは紫外線が強い地域の出身の人の方が多くなる傾向にあります)。

社会的,また効率的運営について,人間が行っているのはわかるが,動物は行っていないのか?

効率的運営も社会的運営も,自分自身の物質代謝を自分自身で運営するということに起点をもつってことを思い出してください。そうすると,効率的運営とはただ単に楽して餌をとろうとしているってことではなく,楽して餌をとる方法を自覚的に生み出すってことになります。また,社会的運営とはただ単に個体が弱いから群れやコロニーを形成しているってことではなく,自覚的に集団を形成し,自覚的にそれを利用して個人の楽ちん生活を追求しているってことになります。要するに,これらは人間しか行っていないものです。

温泉に入るサルは,自然を自由意志の領域としているということではないのか?

ボーリングで地下1000メートル掘削して,ポンプで吸い出した地下鉱泉を,適温まで温めて入るサルがいたら,確かにこのサルは自然を自由意志の領域にしていると言えます。もちろん,ボーリングマシーン等の手段はこのサル自身ではなくてもいいですが,他のサルが開発しなければなりません。

要するに,天然の温泉にそのまま入っている限りでは,天然の餌を捉えているのと同じことです。もちろん,その限りでは,人間もサルも変わりません。