このページは,立教大学 経済学部 政治経済学1の2014年12月02日の講義内容について,リアクションペーパーで提出された質問への回答のページです。
質問の引用に際しては,表現を変えたり,省略したりすることがあります。
回答は,一般論を述べているものではなく,あくまでも講義内容を前提したものです。つまり,講義を聞いているということを前提にして,論点をはしょったりしています。
2015年01月26日:ちょこちょこ追加。
講義でも述べましたが,(1)もともと企業向けの設備投資資金長期貸付の利子率は低いのです。その上更に,歴史的な条件として以下の二点が加わります。(2)直接金融市場の急速な発達によって,企業のファイナンス上の銀行依存度が低下しました。(3)高度経済成長期が終了して,設備投資資金需要の急速かつ持続的な増大がなくなりました。更に,政策的に背景として,(4)以前から続いてきた人為的低金利政策と,最近の量的緩和政策によってマネーサプライは増大し続けている。──以上のような状況によって,すでに企業向けの設備投資資金長期貸付は銀行にとって利潤率が低くなっているのです。そこで,リスクが高い代わりに金利が高い消費者向け貸付の市場を奪おうとしているのです。
人為的要因に左右される政策的な問題を含んでいますから,一概に言うことはできません。しかし,基本的な法律的規制は証取法改正(金融商品取引法の制定)によって解決済みです。拡大していくのではないでしょうか。
経済的には,(1)グローバル化にともなうユニバーサルバンクとのメガコンペティション,そして,講義でも強調したように,(2)もともと企業向け設備投資資金長期貸付の利子率は低いのに加えて,間接金融市場の発達が預貸業務を低収益化させているということが(銀行にとっての)ユニバーサルバンク化への後押しになります。
Blackboard上に掲載したWeb補講をご覧下さい。信用の創造とは,英語ではcredit creationまたはmoney creationですが,その意味するところは,預金通貨(deposit money)という本来的な信用貨幣(credit money)の創造です。要するに,信用創造とは預金の創造です。
含まれます。銀行制度を別にしても,そもそも手形の振出は,もし現金流通だけであったのならば存在したであろうような流通の制限を克服するものです。それに加えて,銀行による手形割引は手形の振出を容易にし,こうして掛買を容易にし,これによって流通の現金的な制限をますます克服します。
預金受け入れと貸出(これもまた預金形態で行われます)とを合わせて預貸業務と言います。個別的企業についての経営情報は(1)振替によってもすでにかなりの程度は銀行の下に集中されます(どの企業がどこにどの程度の支払を行い,どこからどの程度の売上を上げているのか,等。要するに企業は帳簿を握られているのと同じです)。しかしまた,(2)根本的には貸付によって銀行の下に集中されます(特にどの企業が積極的に設備投資をしているのか,等)。
預金者が預金で信用を買っているわけではありません。むしろ,預金者が銀行に信用を与えています。利子付きの預金の場合,預金者が金融商品を買っているということはできますが。
預金が借り手から預かった現金ではないということが,信用創造のミソです。そうではなく,銀行は貸付において,借り手から預かった貨幣を創り出すのです。そこでは,現金は一切動きません。
いろいろでしょう。特に,不祥事については,コーポレートガバナンスの問題が背景にありますから,銀行の本来的業務に即して一概に言えることではありません。
銀行の本来的業務に即して言うならば,審査の甘さに基づく不良債権累積(破綻する場合にはしばしばそれが債務超過にまで行き着く)というのがありがちなパターンでしょう。
銀行が金融派生商品を自己売買するということでしょうか? 日本の銀行はやっています。ただし,現在のところは,業務内容から見ても,日本の銀行はまだ証券会社(アメリカの投資銀行)になっていません。したがって,(連結の証券会社を度外視して)銀行本体で見ると,金融派生商品の自己売買が本来的な銀行業務にともなうリスクヘッジの範囲内に留まっている限りでは,かつ行内のガバナンスがしっかりしている限りでは,金融派生商品の自己売買によって銀行本体が倒産するということはあまり考えられません(なお,Fxやバイナリーオプションは個人向けの投機的金融派生商品です)。もっとも,リスクヘッジと投機とで商品そのものが異なるわけではないので,容易にリスクヘッジが投機に転化するということはありえます。その場合には,価格暴落時に巨額の不良債権になります。
それにより銀行が倒産してしまうケースというものは存在するのか?
──不正経理(損失隠し)とセットなのですが,一番有名なのはイギリスのベアリングス銀行でしょう。
そうなる前に,銀行側はどのような対策を取るのかが知りたい。
──個々の銀行については様々でしょう。金融行政(銀行監督)の立場からは,例えばアメリカでは,現在の民主党政権においては,商業銀行(日本の銀行に相当します)による投機目的での金融商品自己売買を規制する方針です(ボルカールール)。
この場合に,このプロセスの内部では,需要は不変であるということが仮定されています。初期条件において,需要が一定のままで供給だけ減少したのですから,供給<需要になります。
これについては,講義で強調したように,現実的には,完全な自由競争が成立しない限りでは(注1),完全に均等化することはありません。しかしまた,講義で強調したように,(1)社会のすべての産業部門を一企業が独占してしまわない限りでは,不完全ではあっても競争とそれにともなう部門間資本移動が生じるという点,(2)絶えず新部門が生じるという点,(3)既存の寡占部門でも寡占の形成と同時に寡占の瓦解も生じるという点から見て,均等化と資本移動のプロセス自体はなくなりません。
少しわかりにくかったのかもしれませんね。社会的な他人性ということです。預金を取り扱っていない貸金業者の場合には,単に他人性しかありません(借り手企業は貸金業者を媒介にして貸し手企業の貨幣を使って商品生産・流通をおこなう)。銀行の場合には,信用創造を別にしても,社会のすべての経済的プレイヤーの貨幣を預金という形で集めています。そこに単なる他人性とはレベルが違う社会的な他人性が生じます。それをここでは貨幣(正確には貨幣資本)の社会性と呼んでいるわけです。
質問の意図を正確に捉えているのかどうか,自信がありませんが,講義で述べたように,銀行は,貨幣資本の配分によって,生産資本(生産力と労働力)の配分を助けます。
現実の大規模株式会社の大部分は,安定的に資金を獲得するために,直接金融(株式・社債・CP等)でファイナンスするのとともに,銀行から借り入れてもいます。この講義では,銀行制度と株式会社とで私的所有のゆらぎのレベルが違うということを明らかにするために,銀行制度を考察する際には,株式会社を度外視しています。株式会社については『6. 株式会社』で詳しく考察します。
また,逆に,今日の日本では,株式会社化した中小企業も多くあります。しかし,この講義では,株式会社の意義としては,ビッグビジネスをおこなうために社会の貨幣を使うということに着目し,したがって大規模公開株式会社を考察対象とします。
そもそも,政府の所得再分配政策とは違って,銀行の資本再配分は,格差を縮小するためにおこなうものではありません。
資本集中を度外視しても,一般に中小企業の信用度よりも大企業の信用度の方が高い限りでは,特に銀行がリスク回避的な行動を取る場合に,銀行による資本配分はむしろ格差を拡大させます。しかも,特にそれが資本集中(M&A)のテコになる限りでは,格差を加速的に拡大させます。
質問の意味が余り明確ではありません。
銀行が信用創造によって集めた現金
という表現が違っています。
銀行が企業として組織的にインサイダー取引をしたというケースは余り聞きません。個々の銀行員についてであらば,国内の或る銀行の銀行員がインサイダー取引をしたことがあります。
すでになってます。
現実的な保証はありません。ただし,野放しにするわけにはいかないので,政治的に管理されています。法律的には銀行法によって,行政的には通貨当局(金融政策当局;日本では日本銀行)および金融行政(銀行管理)当局(日本では金融監督庁など)によって。
私企業である限りでは,当然に,銀行自身が信用調査して貸出判断します。で,貸倒程度ならば,銀行が自己責任を負うことになります。しかし,銀行自身がヤバくなったら,日銀特融などを通じて,社会に責任を押しつけることになります。実際にまた,銀行が倒産したら,社会の多数の経済的プレイヤーが困るのですから。
別グループに属する銀行間での融資
の中心はコールマネーのやりとりだと思います。コールマネーは要するに現金準備の過不足の超短期の貸付であって,銀行が企業に設備投資資金を長期の貸付とは異なります。そこから分かるのは,せいぜい,相手先銀行の準備率の動向くらいのものです(それはもちろん,貸出量の変化を或る程度は反映します)。
最終的には現金準備の額になります。
いろいろでしょう。理論的に分かりやすい道としては,商人が商業利潤を蓄積して,高利貸しになるという道です。
一応,ビデオ上映前に行った解説で終了です。試験範囲にはいるわけではないので,これ以上は,まとまった解説はありません。後は,具体的にどこが分からなかったのかご質問ください。
(注1)完全な自由競争の下でも,部門ごとにリスクが異なっている場合には,リスクプレミアム分が期待利潤の相違として残ります。ただし,講義で述べたように,この講義では,リスクプレミアムについては,社会的な観点から(つまり個々の企業の立場からではなく,社会全体での欲求の充足という立場から),コストとして計算します。