質問と回答

人類は生命活動を効率的かつ社会的に発達させてきた過程で,生産力ばかりが上がり,生産物の分配はあまりにも非効率的に感じる。食糧廃棄量などが特に問題になっているが,いまだに分配のシステムが未熟な原因は何か?

一般論で言うと,資本主義のシステムはそういうものだからと言うことです。もうちょっと言うと,個々の資本主義的営利企業は,利潤獲得のために社会的需給バランスなどお構いなく無制限に生産力を上昇させようとします。社会的に売れ残りや無駄が出ても,自分がそれをかぶらない限りは,つまり自分が損をしない限りは個々の企業にとっては問題はないのです。ただ,この問題を生産の無制限に対する消費の制限を導入して,しかも景気循環と長期傾向とを考慮に入れて考えると,もうそれだけで一年間の講義が必要になります。その中で,資本主義的営利企業による無制限な生産力上昇の追求だけは,この講義は『6』で問題にします。

で,食糧廃棄のような具体例については,個々の事例の個別的事情に即して,多面的に考える必要があると思います。

分配の偏在

世界規模で考えると,一方では食糧廃棄があるのに,他方では飢餓状況があります。この場合には,原因は資本主義社会における分配の偏在の問題です。

これは国内でも再現します。市場に影響を与えるのは有効需要ですから,実際の欲求の量から独立しています。要するに,ある商品量について「俺なら絶対残さないぜ」という欲求を持っていても,支払能力の裏打ちがなければこの欲求は実現されません。すなわち,国内でも,一方での過剰豊富と他方での貧困とが対応している限りでは,原因は分配の偏在の問題です;端的に言って,過剰豊富の問題は貧困の問題です。

市場の事後的調整

売れなくて破棄された場合について言うと,個々の企業がどれほど需要予測を行おうとも,市場のメカニズムは事後的調整でしかありません。要するに,造ってみないと売れるかどうかわからないのです。その限りでは,市場のメカニズムは必ずや一時的には過剰生産を内包するものだと言えます。

消費者の意識

売れ残りではなく,売れた商品に残飯が出る場合には,残す側の意識も一因です。ただし,一部の金持ちだけではなく,多くの人が残している限りでは,その背景には──単なる消費者の意識の問題だけではなく──生産力の上昇による低価格化があります。

生産力の一方的上昇

そもそも食品業者にとって食糧の廃棄は,売れなくて破棄された場合はもちろん,消費者の手元で破棄された場合でも,コスト要因のはずです。後者の場合を補足すると,もし価格支配力があって,同じ価格を維持することができるならば,破棄される分だけ少なく生産すると製品一単位当たりの利潤が増えるし,もし価格支配力がないのであれば,破棄される分だけ安く供給すると販売量が増えます(どちらの場合にもこの業者が獲得する総利潤量が増えます)。それにもかかわらず,供給者側が過剰供給してしまうということは,大量生産のおかげで製造コストが低下し,供給過剰を出しながら大量で供給するコストの方が,供給過剰を出さずに変量で供給するコストよりも安いと解釈することができます。これは市場メカニズムの上で起こることではありすが,基本的には技術的な問題であると言えます。

生産力の上昇不足

しかしまた,問題が(社会システムの問題ではなく)技術的な問題である限りでは,生産力上昇によって解決可能です。上記の例で言うと,生産力上昇によって,供給過剰を出さずに変量で供給するコストが充分に低くなればいいわけです。

何故人類だけが効率的かつ社会的な生命活動を身につけたのか?

この問題については,『2. 人間と労働』で見ることになります。単純化して結論だけ言うと,初期条件において,現生人類の祖先だけが自分の力を自分で制御する能力を持っていたからです。もっとも,概念的・抽象的にそう言うことはできますが,実際にはそれは程度の差であって,この初期条件そのものを具体的に明示するのは不可能です。しかし,この初期条件の違いこそが,その後,人類だけが雪だるま式の発展をもたらしたのは間違いありません。従って,今日の観点からはそれが何に帰着したのかは明示することができます。要するに,このような“程度の差”が初期条件において具体的に何だったのかは明示することはできませんが,このような“程度の差”が現代において具体的に何に帰着したのかは明示することができます。何に帰着したのかを『2』で見ていくことになります。

なお,社会科学があきらかにできるのはこのような運動の様態(つまり“自分の力を自分で制御する”ということ)だけです。このような運動の様態をもたらした物質的基礎を明らかにするのは,自然科学の役割であって,社会科学の役割ではありません。

エコノミークラスの話のところで,貨幣の節約と労働の節約のところがイマイチよく分からなかった。確かにエコノミークラスにすることで消費者から見ると貨幣の節約になると思うが,労働の節約というのは,つまりサービスの低下による人員の節減が価格の低下,貨幣の節約になると言うことか?

どの人類社会においても,生産性上昇によるコストの削減は,例えば,ホウレンソウ10kgを生産する労働時間が新旧合計100時間から50時間に減少したということです。これは現代社会に限らず,江戸時代でも平安時代でも同じです。これに対して,市場社会としての現代社会においては,このコストの削減が,例えば,ホウレンソウ10kgの価格が700円から350円に減少したという風に現れます。700円から350円への価格低下がここで言う“貨幣の節約”です。要するに,[(どの人類社会にも共通な経済活動) ⊃ (市場社会における経済活動)]であり,この文脈では,[(労働の節約) ⊃ (貨幣の節約)]になります。

社会的に行うことと効率的に行うこととは具体的な区別はどのようなものか?

効率的運営の延長が社会的運営です。効率的にやろうとすると,やがて個人の能力の制限に突き当たり,社会によってこの制限を克服します。この面から見ると,換言すると一般論としては,[(効率的運営) ⊃ (社会的運営)]です。

但し,社会的運営と対比する場合には,効率的運営は社会的運営とは別物として考察しなければなりません。すなわち,特殊論としては,[(効率的運営) ∩ (社会的運営) = ∅]として考察します。

具体的には今後,見ていくことになります。