このページは,立教大学 経済学部 政治経済学1の2012年12月18日の講義内容について,リアクションペーパーで提出された質問への回答のページです。
質問の引用に際しては,表現を変えたり,省略したりすることがあります。
回答は,一般論を述べているものではなく,あくまでも講義内容を前提したものです。つまり,講義を聞いているということを前提にして,論点をはしょったりしています。
最初に一つ注意点を。以下のことを念頭に置いておいてください:株式会社の必然的・範疇的形態は大規模公開株式会社です。そして,大規模公開株式会社の必然的・範疇的形態においては,株式を保有しない専門的経営者(サラリーマン社長)が経営者です。しかるに,《資本家=私的所有者》は日常的な経営にはタッチしない株主です。こういうわけで,資本家(=経営者=私的所有者)
という等式は株式会社の一般理論においては成立しません。
次に,この講義の主張なんてものはありません。この講義で扱うのは,各個人の主観的な決めつけではなく,客観的に妥当な意識形態です。客観的に妥当というのは,社会という客観的存在によってよって必然的に生み出され,したがって当事者の意識を規制せざるを得ないような,ということです。
この点から見ると,タテマエ上は,会社は株主のもの以外にはありえません。それで話が終わりというのではもちろんありません。実際には,このタテマエが現実にはマッチしていないということもみんな感じていますよね? すなわち,システム公認のタテマエに反するような現実が当事者の意識に現れているという,矛盾が生じているわけです。
敷衍するとこんな感じになります:
この政治経済学2においては,このタテマエというのは市場のタテマエであって,その中心は“自己労働に基づく個人的な私的所有”です;この現実というのは資本主義的生産の現実であり,その中心は,生産力の発展にともなう資本規模の大量化(および柔軟な変動)です。
え? 新しい現実に相応しい新しいタテマエをつくりゃいいじゃないかって? それがうまくできないのが資本主義の辛いところです。タテマエという主観性自身は市場という客観的な現実から毎日発生しているのであって,しかるに資本主義的生産という客観的な現実は市場という客観的現実をなくしちゃうことは絶対にできないのです。
現代社会が自己矛盾しているというのを見ない立場は,あれやこれやの主観的な思い込み(私念=“私が思うには”)で,あれやこれやの特徴の一つに即して株式会社の性格を決めつけようとします。これに対して,この講義は,“あれやこれや”の一つに決めつけるのではなく,かと言って,“あれもこれも”という感じでうやむやにゴマかすのでもなく,タテマエと現実との矛盾(すなわち意識と現実との矛盾,主観と客観との矛盾)を,そして,この矛盾を生み出している現実そのものの矛盾を,資本主義の内的な編成の中に置付けようとしているわけです。
株式会社の場合に,資本家からの資本の独立というのは,何よりもまず有限責任制と株式公開とを通じて多数の資本家を集めて資本家のアソシエーションを形成し,これによって結合資本を形成するということです。要するに,社会から返済不要の自己資本を集めるためにです。もちろん,それはそれでもっと資本主義的営利企業が,つまり資本が儲けるため
にです(資本家が儲けるためにではなく,資本が儲けるためにです)。何故に儲かるかと言うと,──もちろん,個々の資本主義的営利企業については儲かるかどうかは私が知るところではないのですが──,株式会社でなければできないようなビッグビジネスや柔軟なファイナンスが可能になるからです(注1)もっとも,これは後述するように個々の資本家の主観的な動機であるとは限りません。要するに,競争の結果として,たとえばビッグビジネスでは,結果的には株式会社が勝ち残ったわけです。この結果から見ると,株式会社はビッグビジネスをするために必要だった,ということになるわけです。
このような大規模公開株式会社においては,範疇的・必然的な形態としては,一方では機能資本家が行っていた管理労働を専門的経営者が行うようになり,他方では貨幣資本家は株主として企業の外部で配当を受け取る存在になっていきます。こうして,資本家からの資本の独立が完成されます。
もともと市場において,物件は人格から独立しているのです。そして,もともと資本主義的生産において,資本は資本家から独立しているのです。それが株式会社において制度的に実現され,誰の目にも明らかになっているのです。
以上が一般的な回答です。とは言っても,恐らく質問者の質問は,それまで個人企業を営んできた資本家が何故にそれを株式会社化したのか,ということでではないでしょうか? もしそうならば,その動機は様々でしょう。信用を獲得して銀行借入等を容易にするためかもしれませんし,有限責任によってリスクを回避するためかもしれませんし,あるいは上の議論のようにより多くの資金を集めるためかもしれません。そして,その中の主たるものは,株式公開にともなって生じる創業者利得の獲得でしょう。
いずれせよ,ここでは,千差万別に異なる個々の資本家の主観に即して株式会社形成の必然性を論じているのではなく,資本の客観的な運動に即してそれを論じているわけです。それによって,資本主義的な市場社会の内部での株式会社の意義も明確になるわけです。
(注1)節税の問題とかのような,各国で異なる制度に依存する問題はここでの議論にとっては無視してください。この講義では,あくまでも資本主義の一般理論を論じています。