質問と回答

授業でアメリカのサブプライムローン問題について少し触れたが,サブプライムローンの問題点は,返済能力のない人々に家を担保にお金を貸し,結局は返済できない人が続出し,不動産バブルが弾けたと認識しているが,この時貸付金利は高かったのか?

12月11日のビデオで見たとおりです。ハイブリット金利の下では,最初は低金利,数年たつと高金利になります。ただし,住宅価格が上昇し続けている限りでは,借金して買った住宅が優良資産になり,高金利になる前に借換え(最初は低金利での)が可能になります。しかしまた,住宅価格が下落ししてしまったら,この借換えが不可能になります。そうすると,低金利期間を経た後で,サブプライムローンの借り手は高金利を支払わざるをえません。

〔サブプライムローン問題において,〕銀行側は最後は政府に救済してもらえると思ってこれを続けたのか?

モーゲッジバンカー,インベストバンカーのどちらに関しても,個別的な当事者については,アンケート調査とかやってないので,私には分かりません。全体について言うと,そもそも住宅価格が上がり続けるという予想の下では,バブルが弾けるわけはないのですから,政府による救済などということも考える必要はありません。

それとは別に,具体的にいつかは分からないけど,しかしいつかはバブルが弾けるという予想も当然に銀行側にはあったでしょう。その際に,すでにtoo big to fail(大きすぎて潰せない)という原則が当時から常識的にありましたから,特にべアースターンズのような大手インベストメントバンカーは最終的には危機時のlender of last resort(最後の貸し手)としての連邦準備銀行に頼れるという判断もあったのかもしれません。実際には,ベアースターンズの場合には,連邦準備銀行による緊急融資はJPモルガンによる買収とセットになってしまいましたが。

銀行には預金者が金を預けて100年〔10年のことでしょうか?〕以上も引き出していない埋蔵金があると聞いたことがあるが,それらは埋まっていても社会の金として運用されているのだから,正確には埋まっているわけではないのではないか?

休眠口座の復興財源への繰入やベンチャー支援への転用の話でしょうか? あなたが言う通りですね。埋まっているというのは自分のものにしたい経済主体からの観点でしょう。

別に休眠口座に限らず,そもそも預金というのは金銭の消費寄託ですから,銀行が自由に利用することができるわけです。その観点からすると,貸金庫とは違って,預金されている貨幣は,たとえ休眠していようとも,すべて社会の金として銀行の貸し出しを通じて運用されているわけです。

銀行の利潤率の均一化〔均等化〕という機能がよくわからない。

実際に完全に均等化するかどうかは別にして,市場が存在している限り,需要過多の業界では供給が増え,需要過小の業界では供給が減るはずです。私の考えでは,このメカニズムが十分に機能するためには,第一に,自営業者モデル(単純商品生産)では不十分で,儲けだけを唯一の行動基準にする資本主義的営利企業のモデル(資本主義的商品生産)が必要です。要するに,上の市場のメカニズムは,実際には,儲からない業界から儲かる業界への資本の部門間移動によって,従って資本の部門間競争によって,達成されます(注1)。これが期待利潤率の均等化作用です。

上記の部門間での資本移動(従って資本の部門間競争)というのは,結局のところ,社会の経済的資源である,労働力と生産手段との部門間の移動です。平均よりも儲かっている業界は,労働力と生産手段とが増えたからこそ,供給が増えるわけです。

とは言っても,例えば,パン業界とゼネコン業界とを較べて,パン業界の期待利潤率方がゼネコン業界のそれよりも高いからと言って,明日からゼネコン屋が生コン車でパンをこねるわけではありません(ここではあくまでも部分均衡の例を出していますが,想定しているのは一般均衡の成立です)。そうではなく,実際には,貨幣資本の移動によって,現実資本の移動が媒介されるわけです。要するに,部門を限定している(パン業界では役に立たない)生コン車ではなく,部門を問わない(どの部門でも同じく役立つ)貨幣の移動が決定的になります。

ところが,ここで,私的所有がこの貨幣資本の柔軟な移動にとって制限になってくるわけです。もし貸付資本がなければ,既存のパン屋が内部留保から追加投資するのを待つか,ゼネコン屋が生コン車を破棄して残った手持ち貨幣でパン屋になるか,しなければなりません。

しかしまた,この貸付資本が企業間での直接的貸付に限定されている限りでは,借り手側企業の設備投資を行うための比較的に高額・長期の借入金は,やはり減価償却基金・蓄積金を積み立てており,これが遊休貨幣資本となっている企業によって貸し付けられることになるでしょう(注2)。要するに,貸付資本が登場しただけでは,貨幣が足りない;まだ私的所有の制限が十分に克服されていないのです。

そうすると,このような私的所有の制限はどのようにして,克服されるのか? 銀行制度の中に(預金形態で)社会中の貨幣が全部集中されて,個別銀行が,それを儲かってる部門,儲かりそうな部門に配分するということによってです。こうして,銀行制度は,利潤率の均等化をめぐる諸資本の部門間競争を媒介しているわけです。

世界企業〔超国籍企業〕と多国籍企業との差はトップがいるかどうかか?

ちょっと違います。あくまでも典型としての違いになりますが,要するに,現地法人が相対的に自立的な企業であるのか(これが多国籍企業),それとも超国籍企業の単なる器官にすぎないのか(これが超国籍企業)という違いです。この違いからは,超国籍企業内で世界的な分業が完成しているという命題が派生します。

「3. 貸付資本の成立」で前回あたりから単語として出てきていた「信用」は「銀行の預金設定による信用創造」の信用ではなく,「返してもらえそうな感じ」という国語的な意味で使われているように思われるが,それでいいのか?

これは信用創造とは何かという話に帰着します。信用創造は文字通りにはcredit creationですが,money creationとも呼ばれます。私は,“信用創造は本来的信用貨幣の“創造”(無準備での振出)だ”と理解しています。そして,この“創造”,この無準備の振出がシステムとして成立するためには,銀行制度の内部への預金形態での貨幣資本の集中が,つまりは“準備”が必要です。その意味では,信用創造は,“無から有の創造”ではなく,“有から有の創造”すなわち“有の増幅”です。

本来的信用貨幣とは,要するに,銀行券(自由発券の場合での)と当座性の預金とです。今日では,銀行券の発券は中央銀行に集中されていますから,本来的信用貨幣は当座性の預金に等しいということになります。

それでは何故に,銀行券(自由発券の場合での)と当座性の預金とが信用貨幣なのか。まず,信用貨幣が信用“貨幣”だというのは支払手段として機能しているからです。次に,信用貨幣が“信用”貨幣だというのは,その流通が信用に基づいているからです。何故に,銀行券(自由発券の場合での)の支払や当座性の預金の振替を以て,決済が完了するかと言うと,銀行券の提示と引き替えに発券銀行が無条件即時に現金を支払うということ,また当座性の預金の引き下ろしの際に無条件即時に現金を支払うということ,──このような銀行の支払約束を受取手が信用しているからです。

逆に,もし仮に,(預金保険制度が無い状態で)今まさに取り付け騒ぎが起こっている破綻寸前の銀行があるとしたら,その銀行が発券した銀行券(自由発券の場合での)の支払,およびその銀行に寄託されている当座性の預金の振替は受け入れられないでしょう。要するに,この場合には,その銀行の現金支払い約束が信用できないから,それらが支払手段として(従って貨幣として)機能することができないのです。

こういうわけで,信用創造を本来的信用貨幣の“創造”として理解する限りでは,信用創造の「信用」は支払約束の信用であって,前回あたりから単語として出てきていた「信用」──掛け売買における信用,企業向け貸付における信用──と全く同じです。

預金,貸出,預金,貸出……と無限に繰り返されて生まれる信用創造で,本来なら存在しないお金が創り出されることは,取り付け騒ぎなど以外にもやはり何かトラブルのもとになるのか? また,一体,どこまで増えるものなのか?

この講義では,信用創造について,ほとんど説明する時間がありませんでしたね。あなたの質問はいくつもの論点を含んでおり,本当ならば,細かく論点を分けて説明しなければなりません。しかし,あまり余裕がないので,直接的な回答だけをしておきます。

何かトラブルのもとになるのか?──一般論を言うと,貸付の社会的増大はシステミックリスク増大させます。実際には,銀行制度の中で金融機関同士が相互的に債権債務関係を負っていますし,また多様な金融商品の開発によって,信用リスクは社会の隅々にまで波及しています。そこで,親亀こけたら子亀がこけた方式で,一度,債務不履行が起きると,直接的な債権者・債務者だけが潰れればいいものを,次から次へと連鎖的にリスクが顕在化することになります。

一体,どこまで増えるものなのか?──銀行の(貨幣供給側の)観点から見ると,経験的に最低限必要な現金準備率まで現金準備を引き下げることができます(もちろん,実際には,それ以上の割合で法定準備率が決まっています)。当たり前のことですが,実際には,それは借り手側の企業の貨幣需要によって制約されます。貨幣需要がないのに無理に貸すことはできません。

前近代的共同体より現代社会での消費者向け貸付が高利である理由は何か?

これはちょっと誤解があると思います。前近代的共同体より現代社会での消費者向け貸付が高利であるのではなく,現代社会でも消費者向け貸付の場合には高利になりがちであるということを私は強調しました。どちらが高いか,ということは私は問題にしていません。もし法的な上限規制を考慮に入れるのであれば,それによって左右されるでしょう。しかしまた,違法金利をも考慮に入れるのであれば,今日でも非常識なまでの高利が成立することがあります。


  1. (注1)部門(業界)の内部を見ると,どの部門でも,儲かっている企業も儲かってない企業もあるでしょう。全体として儲かっている業界の中にも赤字企業はあるかもしれません。しかし,新規投資・追加投資が行われる場合には,全くのヤマカンで投資先が選ばれるはずもなく,その部門の利潤率の期待値(期待利潤率)──この業界に投資したら平均的にどのくらい儲かると期待できるか──が基準になるはずです。

  2. (注2)社債があれば可能でしょうが,現実的には社債は銀行制度と株式会社とを前提しています。ここでは,純粋に,企業同士の相互的金銭貸借を考察しています。