質問と回答

時間外労働,労働強度の増大,生活水準低下〔=労働力の価値以下への賃金の切り下げ〕によって労働者の犠牲をともなう資本主義発展もありうるのではないか?

はい,ありえます。と言うか,実際にあります。この講義で強調しているのは,そんなことがないということではなくて,それだけで資本主義経済の発展を説明するのは無理だということです。

競争の圧力の下で,もし法的規制がないならば,どの資本主義的営利企業も,少なくとも単純労働力については,また労働力需要に対して十分な労働力供給が行なわれている限りでは(注1),あなたが指摘するような,無制限の時間外労働,労働強度の増大,生活水準低下〔=労働力の価値以下への賃金の切り下げ〕を追求するでしょう。しかし,それは,通常の労働力の再生産を不可能にします。その結果として,社会問題が生じる(過労死問題,貧困問題)だけではなく,それを別にしても,そもそも経済の内部で資本の利潤追求行動を制限するようになります。現在,そうであるように,長時間労働と労働強化とはそもそも矛盾しますし(最近深刻な問題を引き起こしている輸送業はその典型ですね。長時間運転すればするほど,ますます注意力散漫になります)。あまりにも低すぎる賃金は労働力の通常の再生産を不可能にします(それとは別に賃金水準の低下は有効需要不足をもたらしますが,この点にはここでは触れません)。

こういうわけで,競争の圧力によって個々の資本主義的営利企業は時間外労働,労働強度の増大,生活水準低下という個々の資本主義的営利企業にとって(つまり利潤達成にとって)合理的な解を追求しますが,その結果は,すべての資本主義的営利企業にとって(つまり利潤達成にとって)合理的な結果に帰結します。そこで,この問題を解決する唯一の方法は個々の企業から独立しており,すべての企業の利益を調整するべき公的機関,つまり国家を頼るということになります。時間外労働については労働基準法,生活水準低下については(さまざまな所得移転政策とともに)最低賃金の策定など。

法的整備とは,要するに個々の企業にとっての競争条件の均等化です。最低賃金/最高労働時間のような基準がない限りでは,無制限な長時間労働や賃金切り下げが社会的に見て生産力の停滞に帰結するということがわかっていても,個々の企業としてはこれを競争戦の武器にするしかありません。他の企業が長時間労働を競争戦の武器にしているのに,自分のところだけ,“将来どの企業も困るかもしれないからその分野では競争しません”,などという態度を取っても,外部のサポートを得ることができない限り,競争に負けて倒産してしまいます。競争自体が,個々の資本がすべての資本に課し,すべての資本が個々の資本に対して課す圧力,強制力なのですから,結局のところ,競争条件の均等化も,個々の企業の外部から,強制力として課されるしかないわけです。

え?今日の労働力市場の流動化と規制緩和の動きはどうなるのかって?──これはこれでやはり企業全体の立場にとっては,無制限な規制緩和はやがては自分の首を絞めると思うのですが,それは別として,規制緩和の背景を上記の説明との関連で述べておきます:

グローバルな競争においては,上記のメカニズム(国内競争を念頭に置いています)がすっきりと機能するとは限りません。第一に,グローバルな競争は各国の競争条件を均等化する傾向があるのですが(たとえばあまりに法人税が高すぎると資本が海外移転してしまう,など),資本移動に比べると労働力移動はまだそれほど流動的ではなく,労働条件(労働時間・労働強度,そして何よりも重要なのは賃金)については国際的な格差が強く残っていますす。特に,そもそも生活費が先進国と発展途上国との間で異なるのですから,賃金は先進国と発展途上国との間で異ならざるをえません。要するに,資本移動に労働力移動が追い付いていません。

第二に,国内であれば国民国家が労働条件と賃金との標準を個々の企業に法的に強制することができます。しかし,このような強制を各国に対して課すことができるような国際的機関はまだ十分に形成されていません(ILOはたとえば日本国内の厚生労働省と同じ強制力を持っているわけではありません)。要するに,経済のグローバル化に政治のグローバル化が追い付いていません。

独占の場合には値段をつり上げれば儲かるのということがということがよく分からない。値段が上がったら需要が減って儲けられないのではないか?

他の一般教養科目向けの講義用にずいぶんと昔に作成した資料であって,この講義用に作成した資料ではないのですが,単純な独占の場合について説明した資料をこのWebサイトで公開しています。「需要と供給」のスライドを見た上で,それと「『需要と供給』への数学的補足(独占について)」のレジュメとを比較してください。

要するに,講義の中でも強調しましたがこういうことです:

  • 完全な自由競争の場合とは異なって,完全な独占の場合には供給量の減少によって価格を上げるということができる。

  • あまりに値段を上げすぎたらかえって独占利潤が減ってしまうけど,適度に値段を上げれば,需要量が減っても,独占利潤が最大になる。

通常の期待利潤と超過利潤との線引きはどこにあるのか?

通常の期待利潤というのは,一定の投資(もちろん利用できる経済的資源の特性を含みます)に対してこのくらいは儲かるだろう,最低限儲かってしかるべきだという期待値,平均値です。どの投資においても,このような期待値を下に投資先を選択しているはずです。したがって,この通常の期待利潤は,投資に対する機会費用をなしています。そして,投資先=生産部門と考えると,もし完全な自由競争が成立しているならば,前貸資本総額で年間の期待利潤を割った年間の期待利潤率は生産部門間(業界間)で均等化するはずです(注2)

この期待利潤は実際に獲得した利潤ではありません。部門の期待利潤率が形成されていても,この部門に属する個々の企業が実際に獲得した利潤は企業ごとに異なります。大儲けしている企業もあれば,大損している企業もあるでしょう。そして,期待利潤を得ることができなかった投資は,たとえ赤字になっていなくても,失敗だったと言えます。逆に,この期待利潤を超えた分の利潤──これが超過利潤です──が本来の利潤(当然儲かってしかるべき分を越えた分の利潤)として人びとの意識に現れます。

金融における利潤はどのようにして説明されるのか?

一言で金融と言っても,そこには多様なサービスを含んでいます。そもそも金融の範囲を定義するということ自体,困難です(注3)。そしてまた,そこで得られる利潤も,手数料収入に基づくもの,金融商品の売り上げに基づくもの,利子収入に基づくものなど多様な源泉に基づいています。

そのコアの部分に限って言うと,企業向け貸付の利子収入は借り手企業の利潤の一部分,企業個人向け貸付の利子収入は個人の収入の一部分,手数料収入の場合には一般に流通費用(流通時間を含む)の節約分,金融商品の売り上げの場合には流通費用(流通時間を含む)の節約分だったり,あるいは純粋な利潤移転だったりします。

いずれにせよ,そのコア部分を考えてみると,金融業では,非貨幣的な富(実体的な使用価値)の増大が生じておらず,価値の流通が行なわれているだけであって価値の生産は行なわれていません。したがって,そこで発生した利潤はすべて他産業から移転したものと考えます。

その点を別にしていうと,金融業も売り上げと費用との差額が利潤である限り(注4)では,この講義で行っているイノベーションとその普及の議論なんかは,大部分は金融業にも当てはまります。


  1. (注1)もちろん,これはケースバイケースであって,高付加価値を生む複雑労働力の供給が需要に対して少なく,これを確保しなければならない場合には,逆に,好労働条件(十分な休暇,高賃金,フリンジベネフィットなど)が競争戦の武器になります。

  2. (注2)部門間で異なるリスクプレミアムを除きます。この講義では,リスクプレミアムについては,社会的な観点から,一種の費用──ハイリスクな部門を維持するために,社会が支払う費用,部門ごとに異なる費用──とみなします。

  3. (注3)企業間での金銭貸借が社会的に必然的な形態になると,すべての貨幣資本は利子を生むべきものとして現れます。要するに,一年後の100万円の貨幣は今日では利子率で割り引かれた価値しか持っていないものとして現れます。逆に言うと,この現象から見ると,今日の100万円は1年後には利子率分だけ増えていなければならないわけです。そして,この現象に即して極論を言うと,すべての企業は(自動車メーカーだろうとスーパーマーケットだろうと)金融業者だということになります。ほとんどの企業で,営業利益と経常利益とは異なっています(つまり金融損益がある)が,これなんかはそれらの企業が金融業者だということの現れ方の一つです。なにしろそもそもすべての資本は貨幣形態においては利子を生むべきものなのですから,運用できる余った貨幣があれば実際に金融で運用するわけです。

    おまけで言うと,個人も貨幣を持っている限りでは金融に足をつかっていることになりま業者ですね。実際,派手な運用をしていなくても,普通預金で雀の涙くらいの利子は受け取っているでしょう。もちろん,勤労所得よりも金融所得の方が大きいくらいにならないと,個人が業として金融を営んでいるとは言えませんが。

  4. (注4)手数料収入を得る場合,転売益等を得る場合はもちろんのこと,利鞘利子を稼ぐ場合にも,金融業者はビジネスをおこなうための設備投資を行い,労働者を雇い,その上で,貨幣を安く(=低利子で)買って高く(=高利子で)売っているのです。要するに,業として貸金業を営む企業(銀行業者を含む;ただし銀行業者は,自己宛の債務──要するに要求払預金──で貸出を行っている──つまり貸し出すカネを自分で創り出している──という意味では単なる貸金業者とは異なります)は,利子生み資本としての貨幣を売買する商業資本です。