1. 注意事項


2. 詳細

以下の問題のすべてに答えよ。その際に,どこまでがどの問題の解答なのか,わかるように,必ず解答用紙に解答番号を明記すること。

[1](所有一般)

問題

私的所有の正当性の本来の内容(何故にこの所有は正当なのか)と,市場社会における私的所有の正当化の形式(どこでどうやって私的所有が実現されるのか)とをそれぞれ簡潔に説明し,そして両者の関係について述べよ。

解答例

そもそも所有とは正当な──すなわち社会意識によって媒介された──対象支配のことである。この正当化の内容は結局のところ,労働と所有との一致,すなわち自己労働に基づく私的所有に帰着する。

私的所有は必然的に市場を生み出し,また市場の中で全面的に実現される。しかし,私的所有を生み出す私的労働はそれ自体としては共同体から切り離されたものであって,その中に社会を内包していない。すなわち,労働と所有との一致という内容は,労働過程そのものの内部では社会意識によって媒介されない。この媒介は,交換過程での交換当事者どうしが相互的に承認し合うという形式で実現される。

しかし,労働過程から分断されている以上,交換過程においては,実際に相手がその所有物を取得しているのがその者自身の労働に基づいているのかどうかはわからない。しかしまた,このように分断されているからこそ,逆に,常に所有と労働との一致が想定されるしかないという関係にある。こうして,市場社会は,上記の正当化の内容を形式的に──形骸化させながらも──般化する。

チェックポイント
  • 私的所有の内容(6点)
  • 私的所有の形式(6点)
  • 両者の関係(6点)

[2](銀行制度)

問題

銀行制度の形成による私的所有という制限の克服について,個別資本の観点と社会的総資本の観点との両者から論じよ。

解答例

銀行制度は社会の隅々から潜在的貨幣資本を預金形態で集中し,またそれに基づいて預金形態で貸し出す(つまり信用創造する)ということを通じて,私的所有という制限を克服しようとする。

社会的総資本の観点:資本の部門間移動は,何よりも先ず貨幣資本の移動であって,その帰結として生産手段と労働力との再配分が生じる。しかし,個人資本家が自己の私的所有する貨幣だけを使用する限りでは,このような柔軟な資本の部門間移動は常に制限に突き当たるだろう。銀行制度は,貨幣資本を現実資本から完全に分離して,部門の区別がない貨幣資本として集積し,需要が高い部門に貸し付けるということを通じて,この貨幣資本の移動を実現する。その結果としてまた,銀行制度は利潤率の均等化作用を実現し,社会の経済的資源の効率的再配分を可能にする

個別的資本の観点:資本集中によって,社会的総資本の増大からは独立的に,個別資本が急速に増大することができる。しかし,個人資本家が自己の私的所有する貨幣だけを使用する限りでは,このような個別資本の急速な増大は常に制限に突き当たるだろう。銀行制度は,個別資本に集中資金を貸し付けるということを通じて,資本集中のレバレッジをなす。

チェックポイント
  • 個別資本の観点(9点)
  • 社会的総資本の観点(9点)
追記

個別資本の観点については,個別資本の集中のレバレッジと言っても,“預金預け入れを通じて銀行制度の中に個別資本が(消費者の個人金融資産も)貨幣資本の形態で集中される”ということを書いた答案がかなりあった。でも,これは正解にあらず

個別資本という観点からは,私的所有の制限の克服は,上記の集中(=銀行への個別企業の貸付)から派生するところの,銀行からの個別企業の借入を通じて,個々の企業の内部で資本が集中されて結局のところ現実資本の形態の増大に帰着するということを意味する。つまり銀行制度の中での諸々の個別資本の貨幣資本形態での集中──これは実際には社会的総資本としてのそれらの集中を意味する──ではなく,銀行以外の個別企業における資本集中がここでの解答になる。


[3](株式会社その1)

問題

株主ではないような専門的経営者の経済的・階級的性格について,所有・機能・収入の三点から論じよ。

解答例

形式的に,すなわち,私的所有者という観点から見ると,専門的経営者は資本家ではなく,賃金労働者である。

(1)所有にそくして:資本家という概念は形式的な規定である。すなわち,資本家とは資本の私的所有者のことである。そもそも株主ではないような専門的経営者は,自分の労働力の私的所有者にすぎず,いかなる意味でも資本の私的所有者ではないのだから,資本家ではない。

(2)機能にそくして:専門的経営者は,他の賃金労働者や機能資本家と同様に,資本機能を媒介している。しかし,──機能資本家にとっては,たとえ全額借入資本であっても,現実資本は自分の私的所有物であったのに対して──,専門的経営者にとっては,他の賃金労働者にとってと同様に,現実資本は他人の私的所有物である。

(3)収入にそくして:株主でない限りでは,専門的経営者が受け取る役員報酬等は,(量的には利潤からの控除を含むかもしれないし,法的には委任契約に基づくものだが),質的かつ経済的には労働力の販売から生じる収入である。

チェックポイント
  • 所有(8点)
  • 機能(5点)
  • 収入(5点)

[4](株式会社その2)

問題

以下は株式会社の設立を原則的に認めるかどうかが問題になっていた時代のイギリスの経済学者の書からの引用である。

イギリスを含む多くの国々の法律は,株式組織の会社に関連して,二重の仕方で誤謬をおかしてきた。それは,このような会社,特に有限責任の会社の設立を認めることを非常に不当に警戒する一方,一般に営業状態の公開の励行を等閑に付してきた。ところが,この営業状態の公開こそ,この種の会社から発生しうる危険に対して公衆を護る最善の保障であ〔……〕る。

この経済学者は,株式会社の「危険」についてのどのような意見に対して反論しており,また株式会社の設立についてのどのような主張を行っているのか,引用文中の語句を用いながら,推定して述べよ。

解答例

反論:確かに,反対派が言うとおり,株式会社は,その構成員である株主が有限責任しか負わないのだから,債権者には債権未回収の大きな危険が生じる。しかし,むしろ逆に,そうであるからこそ,このような,株主を集めてつくられるような大規模な会社にはディスクロージャーが必要になる。そうすれば,上記の危険は,事実上,どの取引にも生じる自己責任に解消することになるだろう。──以上の論理構成でに,この著者は株式会社設立慎重論に反論している。

主張:法的に形式的な条件(その中心は上記のディスクロージャーである)を満たしていさえすれば,自由な──つまり行政機関の裁量ではないような──株式会社の設立が認められるべきだと,この著者は主張している。つまり,この著者は特許主義に反対して,準則主義を主張している。

〔引用文中の語句の使用は省略〕

備考

出典:『経済学原理』,J.S.Mill著,末永茂喜訳,岩波文庫,第5巻,第214頁

チェックポイント
  • 反論(9点)[うち引用語句の正しい使用(5点)]
  • 主張(9点)[うち引用語句の正しい使用(5点)]
追記
  • 引用語句の正しい使用は,きちんと引用符(鉤括弧など)に入れているのが望ましいが,そうでなくても,若干の減点に留めた。

  • “有限責任の問題とは(株主から自立した)会社そのものの無責任体制の問題のことであり,有限責任によってリスクを被るのが(債権者──貨幣の貸し手と商品の掛けの売り手──ではなく)株主であり,文中でいわれている「営業状態の公開」は会社から株主を保護するためのものである”──と解釈した答案がかなりあった。でも,これは正解にあらず

    確かに,今日では,一方では“会社は株主のもの”なんてのは空文句だということ,つまり会社と株主とが一体ではないということを誰もが知っている。他方では,インカムゲイン動機だろうがキャピタルゲイン動機だろうが,大部分の株主は自己の利益が減少しない限り議決権行使には興味を持たず,株式と社債との区別が揺らいでいる。そこで,今日では,株主であろうと社債保有者(債権者)であろうと,「投資家」──誰もが潜在的投資家なのだから,事実上,全市民──の保護が問題になる。

    しかし,今日の投資家保護のディスクロージャーとミルが主張した債権者保護のディスクロージャーとでは理念が違うということに注意されたい。ミルおよび彼が反論した論者たちが想定しているのは,株主の有限責任(あるいは無責任)が会社の債権者にリスクをもたらすということである(この点は前掲書第209~210頁に明記されている)。従ってまた当然に,ミルが提唱しているディスクロージャーも(株主保護のためのものではなく)債権者保護のためのものである。そもそもミルたちは会社を株主と一体のものとみなしているし,さらには事実上,経営者(取締役)──最大株主が自ら経営者になるということが想定されている──とも一体のものとみなしている。

    講義では,論点が債権者保護だという点については,倒産を例にとって説明した。思い出していただければ幸いである。