1. 非市場的組織について

権威は企業家と一体のものだと書いてあったが,それはどのようなことで,それによってどのような影響があるのかよく分からなかった。

権威は企業家と一体のものだというのはコースの考え方であり,この講義の考え方とは違います。この講義の考え方は“権威は資本と一体のものだ”ということです。

で,権威は企業家と一体のものだというのがどのようなことかと言うと,市場では価格メカニズムが調整するのとは違って,組織では企業家が調整するのだが,賃金労働者達はこの企業家に従うということです。

それによってどのような影響があるのかについてこの講義の考え方から言うと,(1)株式流通市場での株式売買を通じて資本家(=株主)構成が毎日変化し,資本家(=株主)が日々の会社内での調整に口を出さず(それどころかそもそも経営内容に関心を持たず),(2)専門的経営者さえ代替可能であり,専門的経営者が首になっても会社そのものが他者と合併しても会社の業務命令は生き続け,みなが会社に従っているという──こういう現代大規模株式会社の現実にマッチしていないのではないか,むしろそういう現実は権威が資本と一体のものだということを明らかにしているのではないか,ということです。

資本家の利潤が大きくなくてはならない理由の一つとして労働者から区別された階級であるためとあったが,なぜ区別する必要がそもそもあるのか,わからなかった。

えっと,重要なのはその下に書いてあることです。すなわち,蓄積基金を捻出するためにです。

で,階級の区別について言うと,必要なんてそもそもありません。事実の問題です。資本主義社会にとって重要なのは資本家という階級の存在よりも,労働者という階級を維持し続けるということであり,維持し続けているからこそ資本主義社会が存続しています。もしすべての人間が資本家になってしまったら,賃金労働者がいなくなってしまいます。

逆に他方では,資本家が受け取る利潤が従業員が受け取る平均賃金(注1)よりも遥かに低くて,会社経営の傍らバイトしないと生きていけない(と言うかバイトが本業で会社経営は片手間になっている)ようだと通常は競争には勝てないでしょう。そしてもし仮に万が一競争に勝ってしまったら,それはそれで,今度は会社が大規模化し,結局は資本家が受け取る利潤が従業員が受け取る平均賃金よりも大きくなるでしょう。

最近では個人が全体に埋没されてしまう場合が多いのではないか?〔……〕現実的に見れば多数のために少数が犠牲になる場合が遥かに多い。それに,個人主義が広がってしまった現代社会では,個人がバラバラに動くことが頻繁に見られる。このような時も有機的な全体が成立しないため社会的組織とは言えない。では,今の社会では,〔……〕具体的にどのような団体が社会的組織に該当するのか? 〔前近代的共同体において個人が共同体に〕埋没という意味がよく分からない。社会の中で自分が何をしてみたところで,その行為はそこまで大きな意味を持つものではなく,また行為者は自分でなくたっていいわけだから,社会にとって自分は塵芥にすぎず,あってもなくても同じような,埋没した存在だと思う。前近代的共同体でも現代でも個人は全体に埋没しているのではないか? 〔同じ問題についての質問だったので,一つにまとめました。〕

現代市場社会は個人が自立した社会,少なくともそういう建前になっている社会です。それにもかかわらず,資本主義社会では人格が物件に,個人が組織に埋没してしまうということを『5. 資本主義社会のイメージ』の「市場社会vs.資本主義社会(2) 全体編成の原理」で説明しました。そして,『7. イノベーションの構成要素』では,この埋没が生産力の発展によって一面ではますます進行するということを説明しました。しかしまた,同時に他面では,資本が利潤最大化するためには,それと同時に,個人がますます自発的に組織に参加し,個人がますます能力を伸ばす必要があるということを説明しました。この点で,現代の資本主義的な市場社会では,生産力の発展に伴って,個人はますます組織に埋没するのとともに,それと同時に逆方向のベクトルでも力が働く,ということを「イノベーションの結末」で説明しました。このように,一面ではますます埋没するのとともに他面ではますます自立していくというのが,つまり正反対のベクトルの力が同時に同じ社会の中で働いているということが,前近代的共同体とは違うところです。

で,本当の意味での社会的組織が現代社会において成立しているのかというと,成立していません。あくまでも,一面では,個人は資本の,つまり社会の付属物だからです。しかし,資本は金儲けの追求の結果として,本当の意味での社会的組織を理想として描き出しているというのが現状です。

資本家・経営者は労働者に労働させているというのが経済学の教えだが,〔……〕彼らも少なからず「労働」を行っている。こういった,彼らの働きはどういった立ち位置なのか?

先ず,NECの資本家はNECの株主です。で,そのほとんどは,NECに雇用されたり,取締役として委任されたりしていません。つまり,NECの中では労働していません。政治経済学2で詳しく見ますが,大規模公開株式会社においては資本家は労働しないというのが原則です。

次に,中小企業なんかでは,資本家が自ら労働しているというのがよくあります。これについては,もう何度も繰り返し説明しましたが,直接的労働(例えば運送会社の社長が自らトラックを運転する)のであろうと,資本家的労働(これについては今回詳しく規定しました)であろうと,労働者として行うということになります。当然に,その分の賃金は資本家として受け取る利潤とは別口になります。要するに,収入の一部分は利潤であり,別の部分は賃金になります。

で,立ち位置というか,階級的な立場ですが,それはその人の機能についてどちらがメインかによって決まります。機能についてどちらがメインであるのかということは収入においてどちらがメインであるのかに反映します。結果から見ると,利潤部分の方が大きければどちらかと言ったら資本家,賃金部分の方が大きければどちらかと言ったら自営業者になります(自ら生産手段を所有しているから,賃金労働者にはなりません)。で,“どちらかと言ったら資本家”というのではなく,“これこそが資本家”ということだと,今回の講義で見たように,少なくとも直接的労働はやらずに資本家的労働に専念するくらいでないと,“これこそが資本家”ということにはなりません。

「労働組織形態が労働の社会的生産力と独立して発生する」所で独立に発生するのか疑問だった。労働組織が生まれその中で社会的生産力も活動する中でともに生まれてくるものだと思っていたからだ。

えっと,まさにまずは労働組織が生まれその中で社会的生産力も生まれてくるわけです。独立してと言うのは「別々のところで,全く無関係に」というわけではありません。労働の社会的生産力が生まれる前に労働組織が生まれて,労働組織の結果として労働の社会的生産力が生まれるという意味です。

権威は企業の株主や経営者ではなく,資本という物件と一体のものとされるが,資本自体に意志がないため,株主や経営者の相対的な意志が組織の権威に影響を与えているのではないか?

もちろんです。日々の経営方針を決めているのは取締役会ですし,年に一回(もし臨時総会がなければ)それを承認したり否認したりするのは株主総会です。また,垂直型の組織の場合には各階層で管理職の意志が業務命令のエージェントになります。そして,講義で強調したように,この権威に従業員が下から自発的に従うように会社は従業員の自発的意志をわがものとしなければなりません。

で,例えば会社の代表取締役が権威を持っているのは,個人としてではなく,代表取締役としてです。そして,内部昇進であろうと外部からの就任であろうと就任したら個人のパーソナリティ如何に関わりなくただちに会社の権威を負うことができ,逆に解任されたらやはり個人のパーソナリティ如何に関わりなくただちに会社の権威を負わなくなります。これが資本という物件,会社という物件と権威が一体のものだということです。

現代的産業から見ると,大企業は部品の製造を下請けに出すが,下請けは小人数なので企業ではないと考えられるので,企業とは一つの会社だけではなく下請け等を含めた大きな単位での組織を示しているのではないか?

その通りです。本来は組織の規模を決めるのはプロジェクトによります。大規模プロジェクトには大規模組織が,小規模プロジェクトには小規模組織が必要です。ところが,資本主義的営利企業の規模はプロジェクトではなく,私的所有によって制限されています。これをどうにか突破しようとするのが銀行制度,株式会社,そしてあなたが指摘している企業間関係(継続的取引を含む)です。

なお,一言コメントしておくと,部品の製造について下請けは小人数なので企業ではないと考えられるとありますが,そうとは限りません。事実上は自営業に近い規模からかなりの大規模までピンキリです。例えばトヨタ自動車の部品の一次下請であるデンソーの連結売上高は4兆円を越えており,従業員数は15万人に迫っています(2015年3月期)。

市場と非市場的組織とは代替的であると学んだが,それぞれが独立して存在しうることはないのか?

先ず,市場と非市場的組織とが代替的だと考えるのはコースの考え方です。この講義の考え方ではありません。それを前提して言うと,独立して存在するというのが少しイメージが湧きにくいのです。代替的でないということをいっているのであれば,代替的でない(市場に代替することができない)組織なんてくさるほどあります。

この講義では労働組織(従ってまた経済的な非市場的組織)についても,そもそもDRAM工場を個人が市場を通じて(つまり非市場的組織を利用せずに)生産するなんてのは不可能だろうという例を挙げました。

労働組織の自然発生というところで,〔……〕もともとは生産力を高めるために資本家が労働組織を意図的に選択したわけではないとあるが,もともとはということは現在は意図的に選択することもあるということか?

生産力が高まったということが関知されれば,そのような組織形態が意図的に選択されます。そして,意図的に選択された組織形態の中で再びチームプレイの有機的連携が更に進み,生産力が高まります。現在に限りません。もともとそういうものです。

現在,と言うか,機械設備が導入されると,もうその時点で,労働組織が意図的に選択されたことになります。機械設備の編成に応じて労働も編成されるので。でも,そこからまた,労働組織が発展するのです。

さぁ,会社にイントラネットとグループウェアが導入されました。これで会社は機械設備に応じて協業の生産力を意図的に上げることができます。でもそれで終わりか? そうではありません。働いている中で,そのような協業の中で,ますます有機的連携を高めるようなやり方が見付かってきます。もちろん,資本は意図的に引き起こそうと常に機能していますが,でも何でも自由にできるもんじゃありません。

プリンシパル・エージェンシー論のところがまだ理解が浅いので,もっと説明して欲しい。

えっと,講義で述べたように,プリンシパル・エージェンシー論がピタリと当てはまるのは,この講義でも想定している利益対立を含む(特に非対称情報と当事者の機会主義的行動の下で)私的所有者間での組織(例えば地主と借地農,会社と会社など),私的所有者とその代理人との組織(例えば株主と専門的経営者など)であって,政治経済学1が想定する労働組織とはベクトルが違っているというのが本題です(もちろん,プリンシパル・エージェンシー論は賃金労働者のインセンティブとモニタリングの問題をも扱っていますが,その場合には,労働組織そのものは自明の前提になっていると思います)。

で,私的所有者間での組織を考えていくのは政治経済学2の課題になります(貸し手と借り手との関係,株主と会社との関係)。こういうわけで,ちょっと講義の本筋からずれますし,また,一言で説明できるような事柄でもないので,以下の参考文献をご覧下さい(講義の最終回に挙げた『組織の経済学』,P.ミルグロム・J.ロバーツ著,奥野正寛他訳,NTT出版,1997年,ISBN:4-87188-536-4,の第3部,その中でも特に第7章,でもいいのですが,組織の経済学の中での位置付け,特徴ということだと,ちょっと古くて最新のトピックスを扱っているというわけではないのですが,以下の参考文献の第6章が内容的に平易であり,また各理論がどういう観点から組織にアプローチしているのかわかりやすく整理していると思います。

  • 『組織の経済学入門』,S.ダウマ・H.シュルーダー著,岡田他訳,文眞堂,1994年
「資本主義的生産が成立するための最低資本量」についてだが,大量の資本と人が必要になると書いてあった。となると,今の自営業の人か規模がかなり小さい会社は資本主義的生産が成立しないという意味か?もしそうなら,自営業,規模が小さい企業は何という労働・生産になるのか?

自営業の場合には,「本来の私的生産」です。『4. 市場社会のイメージ』を参照してください。

規模が小さくて社長が従業員と一緒にトラックを運転しているような場合には,本来の私的生産と資本主義的生産との中間形態になります。

スケールメリットに関してだが,〔……〕,自然発生して誰が定義づけて戦略として使われるようになったのか? 企業?専門家?労働者?

戦略として使うエージェントは,企業経営に責任を負うものです。つまり,トップマネジメントです。

2. 普及の2つのモデルについて

〔ITC産業などで一番手企業が〕「ルールを作る」と関連市場にも影響を与えることができるとはどういうことか?

いろんなケースがありえます。例えば,MicrosoftはPC向けOS市場でシェアを独占し,その地位と自分で策定できるAPIや通信プロトコルの秘匿を通じて,Officeのような独立販売のソフトウェア,あるいはWindowsと抱き合わせで販売されるが新しいネットワークビジネスで利益を生むことができるストリーミング用のフロントエンド(Windows Media Player),ブラウザ(Internet Explorer)などの独占を試みました。その後,EUでの訴訟や,社会的な批判によって,多くの情報が公開されるようになりましたが,シェアという点ではOffice,Windows Media Player,Internet Explorerの優位は現在でも続いています

逆にまた,ネットワーク経済性が価値を生む分野では,ルールを独占するために,技術情報を積極的に公開していくという方法もあります。最近では,トヨタが燃料電池自動車の普及のために,パナソニックがIoTの普及のために,それぞれ関連特許を無料公開しました。

勝ち逃げモデルが成功したパターンはあるのか?

永遠に勝ち逃げし続けるなんてのはもちろん不可能です。で,かなり長期にわたって勝ち逃げし続けている事例で言うと,例えばPC用のOS市場ではMSとか,PC向けのCPUではインテルとか。もっとも,すでに,PC市場自体が成熟市場になってしまっていますが。

〔勝ち逃げモデルの場合に〕後に参入する企業にとっては,コストダウンすることで製品を安くすることで市場を取り返すと言っていたが,逆に高級品にシフトすることで市場を取り返すことも可能ではないか?

可能ですが,あまりに高価だと,製品が奢侈品になってしまい,量がさばけません。従って市場シェアを奪い取るというのは難しいと思います。ほんの少し高価ならばシェアを奪い返すこともできますが,価格上昇率以上の品質(性能・機能等)上昇率が必要だと思います。

イノベーションによる革新的な生産様式を企業秘密にし,イノベーションを普及させないということはないのか?

大いにありえますし,そのように企業は試みます。『6. 生産力の上昇』の「新生産方法の普及」のスライドをご覧下さい。そこでの「知識の私有」の中に,特許取得とともに営業秘密が含まれます。

〔ロジスティック曲線型の〕普及のイメージはいつでも当てはまるのか?

いつでも当てはまるとは限らないからこそ,勝ち逃げモデルという別のモデルを提示しました。


  1. (注1)偶然的なケースとしてごく一部の専門的労働者の賃金が資本家の利潤よりも高いということはありえます。但し,通常は,そのような場合には,実際には賃金は通常の賃金ではなく,主流派経済学で準地代としてイメージされるような,労働力の価値以上の賃金であり,この講義の立場では利潤からの控除です。