このページは,立教大学 経済学部 政治経済学1の2012年04月24日の講義内容について,リアクションペーパーで提出された質問への回答のページです。
質問の引用に際しては,表現を変えたり,省略したりすることがあります。
回答は,一般論を述べているものではなく,あくまでも講義内容を前提したものです。つまり,講義を聞いているということを前提にして,論点をはしょったりしています。
この問題は市場社会のところ(『4』)で,詳しく見ていきます。
ここで一言,予告的に言っておくと,市場社会が,共同体からの個人の自立と,個人と個人との分散とを前提し,また推進するからです。実際に,主流的な経済学では,長いあいだ,基本的に企業組織は市場の失敗の結果として──したがって市場が成功している限りでは不要のものとして──しか取り扱われてきませんでした。
前近代的共同体において経済システムがその他の社会的サブシステムと不可分のものであった(したがってまた,経済システムの自立的な運動を想定すると言うことがそもそもできない)ということについては,『前近代的共同体における経済活動の非自立性』をご覧下さい。
これに対して,──『1. 経済と経済学』の「現代社会の中の経済システム(1)」をご覧下さい──,現代社会が資本主義的な市場社会である限りでは,つまり現代社会の経済システムが資本主義的な市場経済である限りでは,法や政治や文化からは独立した,自立的な経済運動というものを想定することができるわけです。そして,これこそが,資本主義的な市場経済の完成の理念です。
もちろん,実際には,今日では,(市場と資本主義とが未成熟な発展途上国だけではなく)成熟した資本主義国においても,この自立的運動が否定され,経済システムに対する法的規制と政府の政治的介入とが(規制緩和と規制強化とのトレンドを交替させながら)行なわれています。これはもはや資本主義的な市場経済の自立的な運動が,したがって資本主義的な市場社会としての現代社会が,崩壊しつつあるということを意味すると考えています。
今後,『4. 市場社会のイメージ(仮)』および『5. 資本主義社会のイメージ(仮)』で詳しく見ていきます。結論を先に一言で言うと,資本主義社会が成立したからです。資本主義社会は,──
その通りなのですが,問題は何故に資本主義が産業革命を──そして,その後の生産力発展を──可能にしたのか,ということです。それがこの講義の後半部分のテーマになります。
そうなのですが,『どの人類社会にも共通な経済活動を考える意味』で詳しく述べるように,逆は真ではないのです。すなわち,最も発達した──これはちょっと先取りになりますが,どの人類社会でも共通な経済活動の潜在的な傾向が(否定的・対立的ではあっても)がなんとか実現した──現代社会を考察して初めて,どの人類社会でも共通な経済活動が初めてわかります。そうすると,その潜在的な傾向が前近代的な共同体でどのくらい実現していたのか,そして,どのような原因で実現しなかったのか,などがわかります。しかし,逆に,前近代的な共同体をいくら考察しても,どの人類社会にも共通な経済活動は明らかになりません。