1. 注意事項


2. 詳細

以下の問題のすべてに答えよ。その際に,どこまでがどの問題の解答なのか,わかるように,必ず解答用紙に解答番号を明記すること。

2.1 [1]論述問題(私的所有一般)

問題

交換における私的所有の発生のメカニズムについて述べよ(何故に発生するのか,どのように発生するのか)。

解答例

そもそも所有の要件としては,ただ“持っている”ということだけでは不十分であって,その“持っている”ということを社会が認めている(正当化している)ということが必要である。〔このような正当化はもちろん結局のところ,法律にまで発展しするのだが,しかし実定法が制定されるのは法律が保護するべき現実が既にあるからである。〕

〔市場社会は財貨・サービスの主要部分が市場において商品として交換されているような社会である。交換の前提である直接的生産において既に私的所有物が生産要素として使用されているのだが,しかし直接的生産の内部ではこのような正当化のメカニズムはない。これに対して,〕交換においては,互いに何らの暴力もなく自由意志で,かつ対等な条件で合意して,相手が欲するものと引き替えに自分が欲するものを入手する。従って,商品が交換されるということは,交換の当事者同士が形式的に自由・平等な私的所有者として承認しあうということを意味する。こうして,商品交換において,私的所有が必然的に発生しているのである。

追記

講義通りでなくても,論理的説得力があれば甘めに採点。

要するに,──

  • 何故に→私的所有が発生しないと交換をすることができず,市場も成立しないから。

  • どのようにして→交換の当事者同士での相互的承認によって。

当事者同士の相互的承認は,もちろん,それ自体としては,直接には社会による正当化ではなく,当事者だけによる承認でしかない。しかし,交換は互いに対等な人格が自由な意志で行っているという形式で行なわれるから,社会はこの当事者同士の相互的承認を尊重し,この承認に交換の成立を任せる。このような形式で,社会は私的所有を間接的に正当化している。


2.2 [2]論述問題(銀行制度)

問題

銀行を単なる金融仲介業者(銀行以外の貸金業者など)と比較し,その特徴を2点にまとめて説明せよ。

解答例

銀行は預金を取り扱うような金融機関である。

預金を取り扱うということによって,第一に,銀行は,一方では貸し手を代表し,他方では借り手を代表する。すなわち,単に貸し手と借り手とを仲介するのではなく,自分のもとに社会的な資金を集中している。〔これによって,大部分の個人金融資産のような小口の貨幣もすべて,社会的に,退蔵することなく流動化させる。〕

第二に,銀行は単に貨幣を集中するだけではなく,この集中した貨幣をもとに預金を創造する。預金は通貨として通用するから,銀行は社会全体の通貨供給において特別の役割を演じるのである。。

以上の二点に置いて,銀行はその他の金融仲介業者とは異なる特徴を持っている。


2.3 [3]論述問題(株式会社その1)

問題

株式会社を支配する主体についてのバーリおよびミーンズの理論を,彼らが論拠とした歴史的トレンドと関連づけて説明せよ。

解答例

〔この段落はなくても減点しない。〕そもそも株式会社の存在理由は社会から会社への資本集中にある。この集中がどのようにスムーズに行なわれたのかということに応じて,株式会社の歴史的トレンドを劃すことができる。

〔歴史的トレンド:〕バーリおよびミーンズの時代には,個人小株主への株式分散というトレンドが現れた。これによって,それまでのような個人大株主への株式集中よりも会社への資本集中がスムーズに行なわれるようになったわけである。

〔理論:〕この歴史的トレンドに着目して,バーリおよびミーンズは“経営者支配論”を主張した。すなわち,この理論によると,──多数の個人小株主への株式分散によって,資本家である個々の株主は株主総会を通じて会社を支配することはできない。そこで,事実上,株主総会が形骸化し,これによって資本家ではない経営者が会社を支配するようになる。


2.4 [4]論述問題(株式会社その2)

問題

以下はとある経済学者の著書からの引用である。

「企業所得」とか「会社に所得がある」といったような,漠然としたいい方をすることがある。しかし,これは比喩的ないい方でしかない。企業は,その所有者,すなわち株主たちと,株主たちが提供する資本以外の資源であって企業がそのサービスを購入している各種の資源との間における媒介者でしかない。

このような考え方は法人の実体についてのどちらの学説に近いか,そしてそれは何故にそう言えるのかを説明せよ。

解答例

法人擬制説に近い。理由は以下の通り。──

この考え方によると,会社の所得は一種の比喩に過ぎないのだから,すべての所得は結局のところ個人に帰属するはずである。会社はなんらかの実体を便宜上,覆っている一種のベールであって,このベールを引きはがすと(比喩を止めてそのものズバリ言うと),本当の実体,すなわち株主──個人,かつ会社の「所有者」──が現れる。このような個人株主がしかし個人としてではなく集団で財貨・サービス──これも個人の所有物に還元されるはずである──を購入して営利活動を行うために,法的・便宜的に両者の間の「媒介者」すなわちバッファーとして設立されたのが株式会社である。

このように,この考え方は,会社の実体を株主に還元しており,しかるに法人それ自体は経済活動をスムーズに行うための法律的擬制とみなしている。

追記

引用は『選択の自由』(1980年版),M&R・フリードマン,日本経済新聞社,1980年,第33頁,より。